そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.129 激動の年私の2002年 

 私にとってずいぶんいろいろなことがあった年だった。3月までは学校現場の仕事と合わせて,いろいろな役職を持っていたのでたいへん忙しかった。退職前になると年休を目いっぱい取る人もあるというが,わたしにはそんな暇もなかった。
 まあ,何はともあれ38年間勤めて無事退職。自然に親しみ読書をする生活に入ったのだが,5月の怪我は思いがけない出来事で,少し予定が狂ってしまった。

 長男の結婚に伴い,3月,7月,9月と3回東京旅行をすることになった。都会に出れば何か見て歩く時間もとれるから,忙しい中にも楽しみがあった。
 旅行といえば夏のギリシア旅行は,これまで10回以上の海外旅行の中でも印象の強いものだった。ヨーロッパの歴史の奥深さを多くの遺産から教えられた。

 他にも小旅行を楽しむことができた。京都の秋の旅は,洛南を中心に楽しむことができた。漬物など京料理も味わった。松江のフォーゲルパークやティファニー美術館もよかった。島根県もなかなかよくがんばっている。鳥取県も片山知事さん油断できませんぞ。

 展覧会等へもできるだけ出かけるようにした。今年は鳥取県で国民文化祭があったので,10月からは,場所はいくらでも求めることができた。多くの県民がさまざまな文化の一端に触れることができたと思う。しかし,どんな事でも幅は広く奥が深い。「なんだ,こんなものか」ということでなく,今年だけで終わることのないようにしたいものだ。
 絵画・詩画展等にもできるだけ出かけた。昔の友に再会し,新しい友を得た。

 土に親しみ,自然観察を楽しむ機会が増えた。草取りをして野菜を作り,花いっぱいの花壇にしたいという夢があった。残念ながらその何パーセントにもなっていないが,土はいい。発芽し,成長し,開花し,結実する様子を毎日見るのは生命躍動の原点である。
「自然観察の会」には,清末先生に申し訳ないと思いながらまだ一度しか参加していない。来年は今年以上に忙しくなることは間違いないが,できるだけ参加していこうと思う。

 ホームページ「空の山から」開設については,ぜひ書いておかなければならない。1月に長男が帰省の折作ってくれたのが出発である。3月までは仕事もあり書き込みもなかなかできなかった。そんな中,勤務校の情報主任が日曜日などの暇を見て,「ホームページらしく」仕上げてくれた。
 それ以来私は書くだけ。「旅行記」とこの「通信」,いちばん楽しんだのは私自身だったのだろう。来年は,少し違ったものも入れながら続けていきたいと思っている。来年もよろしく。できれば「書き手」として登場してくださる人の登場を期待する。(2002.12.31)