そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.135  1月の読書 

 デジタルカメラの調子が2・3か月前からおかしくて,修理に出すことにした。毎日カメラを持って写して回っていたが,その分ちょっと時間が浮いた。まあ本でも読むか,と言っても新しい本は手元にないし,我が家の書架から昔読んだ本を読みなおすことにする。

『プレヴェール詩集』(河出書房小笠原豊樹訳 昭和42年発行)
 ジャック・プレヴェールは私の好きなフランス詩人の一人である。シャンソン「枯葉」の作者,映画「天井桟敷の人々」の脚本を書いた人と言えば分かる人が多かろう。
 プレヴェールは1900年にパリ郊外に生まれた。
「第一次大戦のさなかにはじまり戦後にひろがったダダ,シュルレアリスムに参加した二十才前後の青年たちは,戦争の無益さを身をもって知り,虚無的な空気にどっぷりとひたされていた」(『シュルレアリスム詩論』飯島耕一 思潮社 昭和36年発行)
 
 精神の自由をめざすこの芸術運動が世界の芸術を大きく動かしたことは否定できない。もちろんプレヴェールもその運動に参加した一人である。彼は早い段階でこの運動から脱退してしまうのだが,彼の詩にはシュルレアリスムの影響が強く見られる。しかし,私はそれとは少し違った,もっと自由な詩に共感する。
「三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなか/はじめのはきみの顔をいちどきに見るため/つぎのはきみの目をみるため/最後のはきみのくちびるを見るため/残りのくらやみは今のすべてを想い出すため/きみを抱きしめながら」(詩集『パロール (ことば) 』より「夜のパリ」小笠原豊樹 訳)
 そう言えば「枯葉」だってそうだ。
「ああ思い出してくれないか ぼくらが恋していた幸福な時代を/あの頃のくらしは今より美しく太陽はもっと明るかった」(「枯葉」より 小笠原豊樹 訳 )

 映画のシナリオ作家,シャンソンの作詞家,そして詩人,いくつもの顔を持つこの人の
詩集をもう一度読み直すことにする。

『鳥取のわらべ歌』(郷土シリーズ27 稲村謙一編著 昭和59年発行)
 稲村謙一氏は,私が小学生のときの校長先生だった。綴り方教育に熱心で,戦前戦後を通じて全国的にも有名な先生であった。私が多少なりとも国語に関心を持つようになったのはこの先生の影響を受けているのかもしれない。先生は今もお元気にしていらっしゃると聞くが,長いことお会いしていない。
 国語とは直接関係はないが,郷土の「わらべ歌」について調べたこの本も読みなおしてみよう。(2003.1.18)