そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.143  とうがらしみそ(勝見シリーズ3) 

 
 昔,勝見に大火があって,ほとんどの家が焼けてしまい御茶屋と薬師堂が残った,という言い伝えから「とうがらし味噌」という行事が始まったという。

 大火については,江戸時代の災害記録『因府年表』には記録がない,としながら,文政11年(1828)年旧5月6日に「夜,勝見一邑大半焼亡。尤御茶屋は恙無し」とあり,この火災ではないか,と『勝見のあゆみ』(勝見郷土史発行委員会編)には書かれている。
 歴史的な事実はどうかと問われると不明な点も多いが,何にしても火災の恐ろしさと,窮地に立たされたときの過ごし方を教え伝えている行事なのではなかろうか。

 火事は旧暦の5月(今でいえば6月)と言い伝えられているが,「現在では僧侶の年頭歩きのため忙しくない旧正月の4日が選ばれ,当日を記念日として薬師堂を会場にトウガラシ味噌をなめながら当時をしのびにぎり飯で食事をすることが現在も続けられている。なぜトウガラシ味噌かということであるが,ほとんどの家が焼け,炊事もままならない。その上,時期が五月(太陽暦で六月)であることから,ゴマ,みそに,味付け以外に保存がきき,しかも元気になる赤トウガラシを加えたのではあるまいか。」(『勝見のあゆみ』より)

 引用が長くなって申し訳無い。
 当日,役員夫婦がこの味噌を作るのが慣わしという。(写真)
 ちょうど私はこの日に別の会を入れていた。昨年から入れていた会であり,しかも公的な会なので欠席はできない。妻に「頼む」の一言でとうがらし味噌作りを頼む。

 夕方,会を終えて,5時半ごろ公民館に行くと役員一同とうがらし味噌ができあがった,ということで一杯やっていた。私も加えてもらって「わいわい」。

 午後7時半から勝見にある長泉寺の住職を迎えて祈願のお経,歴史に詳しい地元の元高校先生の「牛鬼話」を聞いて,味噌をおかずにおにぎりをほおばる。なかなかうまい。
 薬師堂に入りきれないほどの人数(ちょっとこれには驚いた。たいていの行事には40人くらいなのに今回は60人近くもいるのだ)に多少の満足感を持った。

「味噌作りはたいへんだっただろう,ご苦労さん。」すべて終わって,家に帰って妻をねぎらう。
「ああくたびれた。肩を揉んで。」また一つなんとか勝見の行事を終えた。(2003.2.4)