そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.151  子どもの遊び 

  
 「今頃の子は家の中でゲームばっかりして,遊び方も知らんだけ。」
「外で遊ぶ子どもは今おりゃあせん。」
「昔は近所に子どもがいっぱいおって,みんなで遊びょうったもんだ。」
「がき大将があって,ええことでも悪いことでもみんなでしょうったで。」
 ひととしいった人は,よくこんな言葉を口にする。

『こどもの暮らし今昔』(今井書店発行 稲村謙一編 昭和56年)を見ると,「遊びの巻」に次のものが出てくる。
「兵隊ごっこ」「陣取り」「国取り」「おにごっこ」「ままごと」「人形」「じゅんさごと」「むしやこ」「けり馬」「げんじい」「おはじき」「お手玉」「げたかくし」「釘うち」「輪回し」「石けり」「たけうま」「竹とんぼ」「こま」「なわとび」「ゴムとび」「たこ」「はねつき」「まりつき」「杉でっぽう」
 
 明治・大正から昭和五十年くらいまでの作文の中に出てくる遊びが取り上げてある。私は自分ではしたことがないものもあるが,遊び方はわかる。つまり,子どもの遊びは何十年(いや,もっとかもしれない)変わらなかったということだ。
 では,今の子どもたちはどうか。生活科や総合的な学習で,昔の遊びを調べたり,お年寄りから教えてもらって作ったりすることはあっても,それは一時的なもので,おそらく大人になるまで覚えていることはなかろう。

 どうしてそのようになったのか。 
 一つは,科学技術の進歩・発達によって,きれいで子どもの興味を引きそうなものがたくさん作られるようになったことである。子どもは,それを自分で作らなくても容易に手に入れることができるようになった。しかも,説明通りの遊びができるように間違いなく作られている。
「昔の遊び」は,その多くが自分で工夫して作るものであり,体を使って遊ぶものであった。したがって上手・下手があり,速い・遅い,強い・弱いもあった。

 次に,少子化の進行である。例えば,私の住むこの勝見だけ見てもそのことは歴然である。二人の息子たちが子どものころといえばたったの20年ばかり前のことだ。1学年だけで十人以上いたのである。今は小学生全部で十数名。これでは外に出ても遊ぶ相手に出会うことはほとんどなかろう。がき大将も必要なくなった。悪いこともしなくなったが,よいこともできなくなった。

 また,学校教育と一部の社会教育に対する異常な期待感・依頼心が上げられよう。
 学校が子どもの教育のすべてを背負うようになって,教師はつぶれ,子どもは疲れた。今,少し見直されかけているようだが,やっぱり現場は火の車だ。
 社会教育も公の部分とボランティアに頼っているばかりで,いちばん元になる家庭教育がしゃんとしない。

 そんなこんなで子どもたちは,家の中に閉じこもり,一人ゲームとテレビに興じる。ゲームやテレビがすべて悪いわけではないけれど,このままでいいのだろうか。(2003.2.22)