そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.155  お雛様 

 
  昨日は桃の節句。今年は早めにお雛さんを出していた。私は男雛,女雛の右左の位置をいつも忘れてしまう。毎年妻に尋ねるのはしゃくだから去年の写真を調べて見る。
 大体この並び方に決まりはないのではないか。現在は写真のように向かって左が男雛,右が女雛となっているが,明治時代末までは反対だったという。

「去年の写真を見ると桃の花が咲いているのに,今年の桃はまだ蕾が固いなあ。」
と私が言うと,妻は,
「去年は遅くまで飾っていたので,桃の花も咲いていたのでしょう。」
「そうか。」
 なるほど,もう一度パソコンの写真を調べて見ると日付けは3月30日。去年は桜も桃も開花がずいぶん早かったし,旧暦3月3日は4月15日だったから,遅くまで出していたのも事実だし,桃が咲いていたとしても不思議はない。ちなみに今年の旧暦の桃の節句は4月4日である。

 桃の節句が近づくと,まず人形店が盛んに宣伝を始める。いや,2・3ヵ月も前からだ。段飾りだと何十万円のものだから,商売人も必死なのだ。
 各地のひな祭りの様子を報じるのは2週間ほど前から。昔のお雛様だの,どこそこの町ではこんな取組みをしている,などさまざまである。
 
 段飾りのお雛様の段を,日替りで変える幼稚園があると聞いた。内裏雛も明くる日は2段目に,次の日には3段目にとなっていくのだろうか。
 そう言えば私が学生のころだったか,「お雛様の飾りは差別の考えに立つものであり,すべきではない」という考えを聞いたことがあった。多分それは階級闘争の考えからのものだったと思うが,最近では,男女差別などいろんな面からの指摘がある。

 しかし,この行事の意味はそんなことではないと思う。季節の変わり目と,子どもの健やかな成長を願う人々の気持ちと,人形遊びなどが結びついて,作られ発達してきた形ではなかろうか。もちろん形式ではある。しかし,だからといってすべて否定することではないように思う。
 歴史を語ったり,親が子どもに昔を語ったりする機会と考えるとすれば,なんとよい行事ではないか。もっとも,それだけの知識や子どもに話してやるだけの力が今の親にあるかどうか,そこには大きな疑問が残るけれど。  (2003.3.4)