そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.163  卒業式 

 
 久しぶりに前任校に行った。卒業式だった。三寒四温の「寒」に当たったのか寒い日だった。式の途中には霰でも降っているらしく,バラバラと激しい音がした。まだ3月だから雪が降っても不思議はない。
 卒業生は17名。私はこの子たちとは2年間一緒だった。そう言えば去年の船上山での宿泊訓練も雨だった。キャンプも雨のため校庭で行った。天候に恵まれないことの多い学年だ。

 小学校の卒業式を来賓の立場で見ることはあまりない。県内の小学校の卒業式が,同じ日に行われることが多いからだ。パソコンにしまってある思い出のアルバムの中から4枚の写真に言葉を添えて祝電代わりに送ったが,退職して1年,子どもたちがどんな成長をしているか,どんな表情で式に臨んでいるかをこの目で見たかった。

 君が代,校歌,卒業証書授与と順調に進む。欠席なし。ぎりぎりまでインフルエンザの欠席が多く,たいへん心配したそうだ。私の校長7年間には幸いなかったけれど,式欠席の子どもがある場合どうするかも当然考えておかなければならないことだ。
 だから,卒業生に欠席がなく予定通り終えることができれば,小さな失敗など問題ではなく,大成功である。

『お別れの言葉』の呼びかけもすんで,式は50分ほどで終わったが,体は冷え切っていた。最後の見送りまでしてやろうと校長室で休憩して暖まる。
「バレーが強くて,2年生も出場しているのに大きな規模の学校に勝って,中国大会まで出場したんですよ。」と校長が話す。
 そうそう,去年あたりからぐっと力をつけて,県の東部大会でも勝てるようになってきていた。児童数が少ないため部員も少なく,なかなかチームづくりが難しいのだが,小規模は小規模なりにまとまりがある。『お別れの言葉』の中でも「バレー部に入る」と宣言した子が二人あった。中学校のバレー部は大喜びだろう。

 見送りのころには空も明るくなっていたが,相変わらず寒い。
 卒業生達は最後の荷物(机の中のものや上履き)を親に持たせ,在校生から贈られた花を手にさっそうと校門を後にしていった。

 17名の卒業生に幸いあれ。(2003.3.19)