そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.164  相田(さあた)市 

 
 春分の日,風はまだ寒いが,気持ちよく晴れた。妻の里の墓参りで羽合町に行く。ここには昔から「相田市」という市が開かれる。彼岸の中日のこの日だけの朝市である。
「久しぶりに行ってみるか。」
「でも,もう遅いかもしれん。」
 そう言いながらも8時ごろには出発。市にはまだにぎやかな人の集まりがある。

 私は8年前までこの近くの学校に5年間勤務していた。子どもたちも何かやって賑やかにしてほしいという市の主催者からの要請があって,歌を歌う子どもたちの応援に来たことも何度かあった。だから私にとっては,わりと馴染みのある市である。

 近くの商店に広告のビラが貼ってある。「百年の伝統を誇る相田市」というふれこみだ。午前7時から10時ごろまでというからまだまだ十分鑑賞できる。
 ただ,この市に関する資料が私の手元にないので,推測でものを言うことをお許し願いたい。
 鎌や鍬,庖丁などの農具や刃物,春蒔き野菜の種物,みかんや桃などの苗物もある。このあたりは農家が多かっただろうから,いよいよ春になって,これから始まる農作業に必要なものが多いのであろう。

 籠などの竹細工,草履などの藁細工製品もある。農家が冬の間に作った手作りのものを持ちよって,この市で交換していた名残なのかもしれない。百年といえばそれほどの昔ではないが,まだまだ物々交換は生きていた時代であったような気がする。
 もちろん子どもたちめあてのお面や人形,りんご飴やぜんざいもある。お寺の境内にはゲーム大会など子どもたちの楽しんだ後もあった。

 最近できた朝市などいたるところにある。しかし,農業を中心にしながら年一度しか行わないこのような市は,かえって少なくなっているのかもしれない。
 私たちに軽くあいさつをして行きすぎる人が何人かあった。
「えっ,あれだれ。」
「私は知らないけど。」
 じゃあ,私が勤めていたころの保護者? はて?

 妻は手かごを一つ買い求めた。これからの小さな収穫をこれに入れるか。(2003.3.22)