そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.185  楽しや五月 

 以前から行ってみたいと思っていた智頭町の石谷家住宅を訪ねる。
 石谷家は鳥取班初代池田光仲公の参勤交代の宿泊地智頭宿の中央に位置する。明和9年(1772)から文政5年(1822)まで大庄屋を務め,その後は地主経営,宿場問屋を営む。
 明治に入ってからは,商業資本家として活躍,救済事業・学校建設・道路改修など町の発展に尽くす。その後政治家としても,衆議院議員,貴族院議員にも選出されている。
 さてその住宅である。大正8年から約10年間かけて改築させたのが石谷家住宅で,中には江戸時代から存在した屋敷や蔵もある。敷地3000坪,部屋数40あまり,蔵7棟,池泉式庭園のある大規模な邸宅である。

 国道からの入り口でちょっと迷ったが,町中に入ると町民グランドの横に駐車場が設けられていて案内の人が配置されていた。町並をキョロキョロしながら,まず食事をしよう。案内の人から聞いた「もみの木亭」に入ると庭に面した座敷に通された。この建物も明治30年ごろの和風建築で,国登録有形文化財だという。うどん定食がうまい。

 さて,石谷家住宅である。主屋の入り口をくぐると大きな土間。高さ13mの吹き抜けになっている。これだけの空間を擁していれば,夏の暑さも冬の寒さもやわらげられるのではなかろうか。1階2階を見て回る。あまりにも部屋が多すぎて迷いそうだ。
 1階に下りてコーヒーを飲んで一息。その後展示室,ギャラリーとして使われている蔵も見る。江戸時代からの繁栄を今の時代にまで活かそうとする智頭町の取組みがなんとなく感じられるようで,その勢いがちょっとうらやましい。(2003.5.1)

「ふじ寺に行こう」と妻が言う。
「いいけど,どこ」「名和町って聞いているけど,詳しいことは分からない」
 電話帳で調べると名和町には4つの寺があってそのうちのどれかは分からない。
 まてよ,新聞に出ていたかもしれない,と地方紙を調べると,あった。
「住雲寺・名和町古御堂」地図で大体の位置を調べて出発。そういえば10年ほど前,大山のペンションで職員の親睦会を持ったとき,その近くを通りかかったことがあったような記憶がある。
 記憶は間違っていなくて住雲時に到着した。藤の花は少し早くてまだ十分に咲いていない房が多い。満開になれば確かに見事だろう。本堂では高校生が琴の演奏をして見物客を迎えていた。
 5月はさまざまな催し物があり,楽しい月である。 (2003.5.3)