そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.186  勝山城(勝見シリーズ9) 

  No.165「勝山さん」で取り上げた勝山城跡は勝見の南,長泉寺の裏山にある。毎年春・秋の2回,共同作業で掃除を行う。今年の春は5月11日の日曜日に行うことにしていた。大型連休が分断したため1週間ずらしたのだが,あいにくの雨になってしまった。次の週にはお寺の行事が入っているので,作業を強行しなければならないのかと心配したが,結局14日(水)ウィークデーに実施ということになった。異例のことである。

 勝山城は14世紀ごろ築城されたらしい。『因幡誌』によると城主は首藤豊後守であったという。その後16世紀になって毛利と尼子の勢力争いがあり,毛利方についた首藤豊後守は尼子正久に亡ぼされる。
 そして天正年間(1573〜1592),鹿野城主亀井茲矩が正久を攻撃した。しかし,山を削って絶壁を作ったり,二の丸・三の丸も作って強い城づくりをしていたため容易に落とせなかった。茲矩は作戦を練り,わざと勝山城から見えるように川原に兵を繰り出し野営をするかに見せかけた。正久は手薄になっていると思われる鹿野城を総攻撃することにした。
 正久がもうすぐ鹿野城というところまで軍を進めたとき,勝山城の天守閣が燃えているのに気がついた。「はかられたか。」
 こうして勝山城は落城した。(正條村誌発刊委員会編・著『正條村誌』より要約)

 勝山城本丸跡は勝山の山頂にある。広さは東西約54m,南北約13・4mある。現在「勝山城跡公園』として整備され,観音像(昭和30年建立)や東屋も立てられ,藤棚も花のころは特に美しい。

 うちの息子達が子どものころには「子どもの日の行事」で,ここで運動会をしたこともあった。昼には飯盒でご飯を炊いて,みんなで食べたりもした。小さな広場だが,あのころには子どももいっぱいいて,家族みんなが子どもたちを中心にして楽しんだものだった。今は子どもが少なくなって,また,家庭単位で過ごすことが多くなって,そのような行事がもてない。

 今回の共同作業は,平日ということで出席は少なかったが,みんながよく働き例年と変わらない時間で終えることができた。大きく伸びたたけのこを取り除き,芽を出している笹を刈り取り,たまった落ち葉を掃き出して,山道や広場は見違えるようにきれいになった。
 5月の山は一際美しい。このような自然をなにか活用することはできないものだろうか。
   (2003.5.14)