そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.20 にぎり仏

 校長になって3年目(1997)の4月の全校朝会で,私は次のような話をした。
 
〜〜〜 この前の春休みに広島県の尾道というところに行ってきました。尾道は,瀬戸内海
に面していて,歴史のある古い町です。歴史のある町らしくお寺がずいぶんたくさんありました。25もあるのだそうです。
 その中の一つのあるお寺で,参拝者に仏様を作らせるというので寄ってみました。

 ブザーを押すとやさしそうなおじさんが出てきました。その寺のお坊さんですね。「にぎり仏ですか。しばらくお待ちください」と言って中に入ると,今度はナイロン袋を持って出てきました。中に一塊の粘土が入っていました。お坊さんは「にぎり仏」の作り方を,見本を見せながら丁寧に教えてくれました。

 そして,私が作ったのがこれです。頭の部分を少し上に残して,願いを込めてぎゅっと握りしめます。にぎった指のあとが残っています。あとは耳や鼻を引き出し,目をかくなど顔を整えてできあがり。あとでお寺で焼いて送ってくれました。世界に一つしかない私だけの「にぎり仏」です。

 形のない粘土がひとにぎりで仏の形になる。なかなかうまく工夫したものですね。私は,このにぎり仏に,本校の子どもたちがこの1年間元気で一生懸命勉強しますように,という願いをこめました。ですから1年間校長室に置いておこうと思います。

 もし,みなさんの中で,なんとなく元気がなくなったり,勉強の気力がなくなったりしたときは,校長室のにぎり仏に会いに来てください。きっと元気になりますから。〜〜〜 (1997.4.15全校朝会講話より)

 それからしばらく校長室を訪れる子どもたちは,にぎり仏を見つめ,握りしめて見ていた。中には,額に当てて拝むようにしている子もあった。その子たちが元気がなかったり,勉強の気力がなかったりしたわけではない。むしろ元気で活発な子どもたちであった。
 もちろん宗教だとか偶像崇拝だとか言うのではない。学校や校長室が子どもたちにとって頼れる所,心の安らぎを覚える場所でなければならないことを,改めて思ったのだった。

 そんな学校経営ができたかな,と思い返している昨今である。(2002.4.18)