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〜何の因果で貝殻漕ぎ習ろうた カワイヤノー カワイヤノー 色は黒うなる身は痩せる 「日本海沿岸の賀露,浜村,泊,妻波などに伝わる代表的な民謡。数十年ごとに沿岸一帯に大発生する帆立貝を底引きする漁師たちが,苦しい艪漕ぎに合わせて歌った労働歌で,男性的な勇壮さと家族を思う切々の哀調がある。この伝承民謡の起源はさだかでないが,帆立貝の乾し身が1824年(文政7)に中国へ大量輸出されたのを始め,以後1929年(昭和4)にかけて数十年ごとに周期的な輸出が文献に見られるところから,漁獲もそれ以前からあったであろうし,唄もそのころから歌い継がれたものであろう。」 (『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社) 貝殻節は浜村だけで歌われてきたものではない。「浜村沖から貝殻が招く〜〜」というところを,青谷では「青谷沖から」と歌い,賀露では「賀露の沖から」,泊では「泊沖から」と歌う。広く鳥取県沖で行われた帆立貝漁の労働歌であることがわかる。土地によって歌詞やメロディーに少しずつの違いがあり,賀露で歌われている貝殻節を「正調貝殻節」と言うこともあるが,そうかもしれない,いや,「賀露流貝殻節」なのかもしれない。 ただ温泉があるというだけで,他になんのとりえもない浜村温泉としては,なんとかこれを宣伝材料にしたいと考えたようだ。しかし,この唄が爆発的に全国に広まったのは,昭和27年(1952)朝日放送全国民謡大会で第1位になったことである。その後も全国芸能大会などでたびたび披露され,海の労働民謡としてすっかり定着した。 私の住む浜村では,かなり古くから七夕祭りを8月6日から7日,つまり月おくれで行っていた。それが駅前付近を中心とする地区行事になり,花火や芸能も行われるようになったのは,観光地の宣伝と結びつけたからだろうか。それを見に行った記憶もそう古いものではない。 今年の貝がら節祭りは8月1・2日に行われた。(以下次回に続く) |