そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.22 祭り

 毎年4月の第3日曜日はこの辺りの祭りである。浜村駅南側にある勝見薬師堂の例祭を賑やかに行う。

「昔は秋の彼岸の中日であった。氏神の加知弥神社の祭礼が10月21日で間隔が近いのと,9月は食べ物が腐り,洪水まつりといわれるほど雨が多く,養蚕で忙しいこともあって,昭和2年以降,4月24日に変わった。また,昭和30年気高町の誕生を機に浜村温泉まつりとして新泉・温泉・浜村のまつりと統一されて,4月21日に早まった。さらに昭和47年からは,4月の第3日曜日をあてている。」 (『いで湯の里 勝見のあゆみ』勝見郷土誌発行委員会) 

 今年は朝から雨だった。
 例年小学生の鼓笛隊が午前中に勝見地区内を回るのだが,近所の人に聞いてみると,小学生の人数が少なくなって鼓笛隊が組めなくなり,取り止めになったという。調べてみると,鼓笛隊は昭和38年から続いているという。少子化の影響が40年近い行事を変えさせてしまうのだ。

 午後になって雨は上がり,日もさしてきた。舟形の屋台も予定通り出た。「かつてこのあたりは沼沢地で,多く舟を使っていたことから」屋台もその形をとっている,という説と,「薬師如来が海から上がってこられたことによる」という説の2つが,前述『いで湯の里 勝見のあゆみ』に上げられていて,定かでない。
 薬師祭りの唄は昔から変わっていないのかと思っていたら,これも秋祭りから春祭りに変わったために生じたずれを,昭和35年に直したという。

 〜勝見勝山 からりと晴れて 薬師祭りの鐘が鳴る〜
 〜今日は勝見の お薬師祭り 花も咲いたよ湯の花が〜
 〜ここのお家は 繁昌なお家 鶴が御門に巣をかける〜

 豊作や豊漁を神に祈願し,感謝し,ますますの繁栄を願う気持ちを,みんなでご馳走を食べ,酒を酌みかわしながら語り合う。我が家でも親しい人たちを招いて,わいわいやりながら祭りを祝う。昔も今もその点は変わらないだろう。
 などと思いながら調子よくやっていたら,写真を撮るのを忘れていた。これは昨年の写真(4.22)