そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.234  京の旅2

 2日目も市バスを使う。銀閣寺道で降りて橋本関雪記念館に向かう。ここは,「日本画家橋本関雪の旧邸を開放した記念館」と旅行情報誌に出ていた。「開館10時より」となっていて時計を見ると10分前。門の近くで庭の手入れをしている人がいたので,
「まだ入られませんか。」
と尋ねると,
「記念館は10時開館ですが,庭はいいですよ。ごゆっくりどうぞ」
と入れてくれた。

 三つの池を中心にした落ちついた庭だ。この庭園は白沙村荘庭園として京都市より名勝に指定されているという。
 茶室などの建物がいくつか配置され,竹林もある。平安・鎌倉時代の石仏・石塔が置かれ,そこで説明してくれた女性の言を借りると「どこから見ても絵になる」庭だ。関雪が30年かけて造ったものだそうだ。
 水を打ち,庭の手入れをしている人が何人かいる。

 記念館の展示室には関雪の作品のほかに,古代ギリシアの壷などのコレクションがたくさんあった。関雪が昭和の初期ヨーロッパ旅行で集めたものらしい。昨年私たちがギリシア旅行のときクレタ島などで見たものと同じだ。
 これまで名前を聞いたこともない記念館だったが,よかった。特に,庭はお奨め。
 
 近いところなので銀閣寺に寄らないわけはない。秋の修学旅行のシーズンで,参道には高校生が多い。名前が知られているだけに外人も多い。
「義政がつくった楼閣は,銀を貼ることができなかったのに,名まえだけは銀閣という。西の金閣に対してつけられた名である。」(松本清張・樋口清之著『京都の旅』光文社)
 私は以前に来たことがある,と思っていたが,この近くを通ったことはたびたびあっても中に入ることはなかったのかもしれない。

 銀沙灘(ぎんしゃだん),向月台(こうげつだい)の砂盛をみて散策路を歩く。銀沙灘,向月台は月の光を反射して銀閣を照らすという。この砂は寛永年間の大修理のときに置かれたものらしく,銀閣の名前もその頃についたものなのだそうだ。従って「銀閣」というのは義政がつけた名前ではない。
 道が山に向かっている。今日はまだ歩く予定があるので,この辺りで引き返す。清水寺ほどではないが参道に人が多い。土産物の店が並んでいる。
 少しお腹が空いた。妻は名物の湯豆腐料理を食べたいという。しかし,この辺りには湯豆腐料理の店がない。
 哲学の道へ出る。(続く)