そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.237  研究発表会

 退職前勤めていた学校の研究発表大会があり,前校長として招待されて参加した。そろそろ晩秋とはいえ,大変寒い日だった。

 この研究会は私にもかかわりのあるものである。というのは,この発表会は発表校の順番があり,本校の発表は平成15年ということが既に決まっていた。もちろん,それに向けての研究は,少なくとも2・3年前から積み上げていかなければならない。
「来年度からの研究は,国語で行きたいと思います。」
 平成12年度の終わりの校内職員会の話し合いである。私が発表会の年には退職していないことは誰も知っていたが,そんな声が大勢を占めていた。指導要領が改訂され,総合的な学習が全面的に実施される。しかし,それについてはある程度の試みがなされ,見通しが立ちつつあった。反面,国語科の変わりようは大きいのにそれに向けての研究・実践はあまりされていなかった。これからの国語について勉強しなければ,という気持ちが強かった。

 私は研究を進めるに当たって指導助言の先生として大学の先生を考えていた。T大の国語教育のM先生にその年の授業研究会の指導助言をお願いする。しかしM先生は,多忙で難しいからと,新しくT大に赴任されるH先生を紹介された。
 H先生には郡の教科研究会で講演をしていただき,さらに本校の研究会に指導をお願いする。最初においでいただいた校内研究会の当日に子どもたちの様子と今後の見通しをお話しすると,
「分かりました。なぜ今日ここに呼ばれているかということも。」
と快く受けてくださった。

 その後私は退職し,H先生はT大を退官されたが,ずっとこの研究会にかかわってこられた。発表会当日,久し振りにお会いした。
「清水先生とのご縁でこの研究会にかかわることになりましたね。」
と話しかけてこられる。
「ここまで来られたのも先生のお蔭です。」
と,私は丁重にお礼を述べる。
 さらにすべての日程が終わるとH先生は,
「先生が考えておられた本校の国語科の路線が,一応できたことになりました。」
と話された。実によく覚えておられると感心する。

 本校の先生方も大変だっただろう。子どもたちの国語の力が高まっただろうか。それがこの大会の成果ということになり,先生方の指導力に厚みが増すことになる。