そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.24 時計

 教職員勤続功労者感謝状贈呈式が県立図書館であったので出席した。県教育長から感謝状をもらう。
 副賞があった。「きっとこれと同じものよ」と,妻が言っていた通りの置時計だった。妻は2年ほど前に退職したので,そのときもらっているのだ。同じ時計が我が家に二つになった。

 どの家でもそうだろうが,時計がたくさんある。電池式,デジタルの時代になって,急速に増えた。我が家にも掛時計だけでも6つある。そのうち最も古いのは,振り子の柱時計である。(写真)時計の横には『祝』とあり当時の勤務校『職員一同』,反対側に『昭和43年4月29日』と記してある。結婚祝にもらったものである。もう34年にもなるのか。時計も,私たちも。

 ボンボンと鳴る普通の時計で,長男が生まれたころには,赤ちゃんの睡眠の邪魔になるのではないかと,音が鳴らないようにしたこともあった。今考えればそんな心配はないのに,子育てはいつの時代だって手探りのものだ。

 ぜんまい式なので,月に1度は巻いてやらなければならないし,日にちも31日を越えると32日,33日となってしまうので日にち,曜日の調整をしてやらなければならない。手間がかかると言えば確かにそうだが,月に一度くらいならそれほどでもない,とも思う。
 実際には世の中にはそんなことがたくさんあって,便利になった反面,手をかけることが少なくなったのである。そして,その分愛着がなくなり,物を大事にしない風潮が生まれる。

 置時計になるとさらに多く,ちょっと数えただけでも10個以上になる。中には自分で買ったものもあるが,大方はもらったものである。もちろんそのほとんどがそれぞれの持ち場を与えられて役割を果たしている。
 あまり役割を果たしていないのは目覚し時計だろうか。というのは,私は目覚めがいい方で,ほとんど目覚まし時計を必要としないからだ。よほど朝早く起きなければならないとか,絶対に遅れてはならないことがあるとかいう場合しか使わない。

 腕時計とか,旅行用の時計などを合わせると,我が家の時計は20個にもなろう。家中どこにいても時刻を確かめられる。それだけ私たちは時間に管理され,使われているということなのだろうか。(2002.4.26)