そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.241  奥出雲2

 鬼の舌震出発地点の茶店まで帰って時計を見ると12時過ぎ。しかし,せっかくここまで来たのだから,少々昼を遅らせてもいい,もう少し見るところはないか。鬼の舌震のパンフレットに「絲原記念館」が載っている。どんな記念館かは知らないが行ってみよう。
 たたら歴史館絲原記念館は,車で10分も走らないところにあった。「砂鉄(こがね)」という食事処もある。なめこ蕎麦(650円)で昼を済ませ記念館に入る。

「絲原家は藩政期,農民でありながら松江藩の『五人扶持士分格』であり『鉄師頭取』『下郡上座役人』等を勤めてきた家柄であった」と記念館のパンフレットにある。古くからこの地に盛んだった「たたら製鉄」の大鍛冶屋だったらしい。
〜〜 古来,精妙な鋼の材料になってきたのは出雲砂鉄であり,とくに雲伯国境のそれであるこの出雲砂鉄が鋼塊のかたちにされて山から海岸へ運び出され,この安来港にうかぶ和船に積みこまれて全国に送られた。(司馬遼太郎『街道をゆく七 砂鉄のみち三』より)

 たたら製鉄コーナー,美術工芸品コーナーなど館全体を見て回って外に出ると,庭園入り口がある(別料金)。現在も使われている居宅の一部とそれに面した庭園を公開している。ここも紅葉が少し過ぎたかな,というところ。ざっと見て外に出ると「楓滝」「紅葉谷」は無料の部分。まだ,整備中らしかったが紅葉はこのミニ旅行の中でいちばんよかった。

 さて,帰路につく。広瀬町に入って間もなく,妻が,
「なんとか神話民俗館という看板が見えた。寄ってみようか。」
という。そういえば私も「金屋子神社」の看板を見ていた。左に折れて橋を渡ってどんどん山に入っていく。こんな所にあるの,と諦めかけたところに白っぽい建物があった。「金屋子神話民俗館」とある。掃除をしていた人が受付に入って,
「ふだんは500円ですが,開館10周年記念の特別企画で200円です。」

 司馬遼太郎が「砂鉄のみち」を訪ねたころにはこの民俗館はなかった。民俗館の少し上に建立されている金屋子神社について,『街道をゆく』には次のように書かれている。
〜〜 タタラの神である「金屋子(かなやご)」という神が祀られている。神殿,門,石鳥居がそろっていて,堂々たる神社の体をなしている。(『同上 砂鉄のみち八』より)

 私たちは,出雲で「神話」と言えば「出雲神話」を思い浮かべ,スサノオノミコトやオオクニヌシノミコトなどの話が出てくるのかな,と単純に考えていたが違っていた。金屋子神話民俗館は,この地のたたら製鉄にかかわる,自然と神と人の共生の伝説・神話・道具などを集めたものだった。私たちのような不勉強な人にとっては,少し難しい民俗資料館と言えるのかもしれない。

 去年・今年と島根県のさまざまな施設を見る機会が多かった。もちろんそれぞれに目的を持って,その地にあった施設として建設・整備されたものである。鳥取県にはこれほどの「箱物」はない。しかし,作られた当時の意義が十分理解され,活用され続けているかというと疑問に思うことも多い。競争してつくって,多くの赤字に悩まされていなければいいが。そんな心配もさせられた今年の紅葉狩りであった。(終わり)