そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.247  研究授業

 研究授業をどれだけしてきたことか,見てきたことか。
 学校(特に小学校)現場では,研究会といえば授業を通して持つことが多い。大規模校は別として,12学級以下の学校では一人年1回以上の授業研究会を持つのが普通であった。さらに,研究発表会を控えている場合などには,年2・3回ということもあった。
 教頭になってからは見ることのほうが多くなったが,最近は,ティームティーチング授業が多くなっているので,教務主任も教頭も授業に加わることが多い。いや,担任よりも研究授業に当たることが多くなる。だから,教務主任も教頭も大変だ。

 体育や音楽の授業は,いいところを見せようと思えば事前に練習をすることも可能だ。技能的なものは,練習時間を取ればある程度は高められる。実際そういう授業も見てきた。
 しかし,子どもたちの発言で進める学習の場合,何が飛び出すかわからない。「それを予測できるのがプロの教師だ」と言うが,難しい。何度失敗してきたことか。

 退職してからは見るばかりである。たまに学校の研究会の指導助言を頼まれることもある。今回は隣町のH小学校の国語の指導助言を頼まれた。
 学習指導要領が変わって,「話すこと,聞くこと」が重要視されるようになった。それに伴って教科書でもそれなりの内容が盛り込まれている。確かに「話す・聞く」領域は,これまで「読む・書く」領域に比べて軽く考えられていたかもしれない。「沈黙は金」という諺もあるくらいである。しかし,日本人のしゃべり下手は衆人の認めるところらしい。昨年より完全実施されている学習指導要領は,そこにメスを入れたものであった。

 教科書には話し方・聞き方を育てる教材が重点的・系統的に入れられた。
 この日の授業も,3年「しょうかいしよう,『お気に入りの場所』」で分かりやすい話し方の学習を,6年「ニュース番組を作ろう」で分かりやすくニュースを伝えることを学習するものであった。
 子どもたちは,自分たちで調べる学習を好む。活発に学習に臨んでいる。ただ,どんなヒントを与えるか,どんな学習を積み上げていくかによって,学習の勢いが変わってくるものである。そしてうまくいった場合,予想した以上の力を身につける。おそらくこんな学習を積み上げた子どもたちは,これから「話す力」をずいぶん身につけるに違いない。
 日本人の国語力改革の一つができるかもしれない。

 新しい学習指導要領で目玉商品になった「総合的学習」には,非常に多くの学校が飛びついた。私は3年ばかり試行して,「ある程度の見通しがついたから,いいでしょう」と研究の視点を国語に移したのだった。多分それは間違っていなかったと思っている。
 もっとも,「話す・聞く」を重点にする,という「国語科の考え方」にも100%賛成しているわけではない。少し順番が入れ替わっただけではないのか。次々期あたりの「新学習指導要領」の姿も見えるような気がしている。