そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.249  文化講演会

 鳥取県民カレッジ連携講座が気高町役場で開催された。テーマは「近代を彩った鳥取の女性たち」,講師は郷土文芸史研究家竹内道夫氏である。
 私は,図書館でもらったチラシを見て,田中古代子や尾崎翠のことだろうと思って,少し彼女たちの年表などを頭に入れて聴講することにした。しかし,予想は完全に外れた。

「今日は田中古代子のことは話しません。ただし,一つ訂正することがあります。古代子の『諦観(あきらめ)』が新聞の懸賞小説2等に入った,というのは誤りです。その懸賞には1位・2位……というのはありません。入賞作品が10篇ありその中に入った,ということです。」
「今日は,4人の女性のことについてお話します。」
ということで,山根敏子,ミスワカナ,駒井玲子,碧川かた,の名前を上げた。
 私はミスワカナだけは名前を聞いたことがあるくらいで,まったくといっていいくらい知らない女性ばかりであった。

 山根敏子は,1921年札幌生まれ。父母ともに鳥取市生まれ。1947年父の故郷鳥取県の教育委員会渉外事務嘱託として在日米軍との折衝に当たる。1949年外交官領事官試験に合格,わが国最初の婦人外交官となった。1952年ニューヨーク国連日本政府代表部勤務となる。日本の婦人が外交によって世界平和に貢献する能力をもっていることを示した。
 緒方貞子さんのような国際的に認められた人だったのだろう。
 1959年帰国の途中,アラスカ上空で航空機事故に遭遇。35才で死去。

 ミスワカナは本名川本すぎ。貧しい家庭で育つ。父が三味線を弾き,ワカナが歌い,家々をまわって何がしかの施しを得るような暮らしをしていたらしい。10才で芸能界入り。17才で大阪千日前の舞台に出演していたという。その後,玉松一郎とワカナ・一郎の漫才コンビを組む。歌謡漫才,女性上位漫才,しゃべくり漫才の先駆者。それには,鳥取,京都,大阪,広島,博多,満州と転々した芸人生活が役立ったのではないか,と竹内氏は言う。
 1946年覚醒剤中毒により36才で死去。

 駒井玲子は,本名浅沼清子。マネキンガール第1号。マネキンの語源はフランス語の「マヌカン=人形」とも「招金」とも言われる。その美貌と才気で,数々のメーキャップの技法を創作した。現在のS化粧品会社を全国に広めたのも彼女の才覚によるらしい。昭和のファッション史に名前を残した女性。
 1942年35才で結核のため死去。

 碧川かたは三木露風の母,1872年鳥取市東町生まれ。『鳥取県大百科事典』(新日本海新聞社)によると婦人運動家とある。禁酒運動,婦人参政権運動など婦人解放運動の先駆者だという。また,三木露風の童謡「赤とんぼ」のモデルとも。
 露風が幼少の時に聞いたという,母の「世界に一つしかない子守唄」が「赤とんぼ」の原風景だとすると,それは鳥取の自然,風景だったのかもしれない。

「文芸史」の芸の方が中心の講演だったが,なかなか勉強になった。