そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.25 学校五日制

この4月から新しい教育が全面実施になって出発した。土曜日がすべて休みになる,ということがずいぶん話題となっている。

 これはずっと前から言われていることで,何を今になってわいわい・がたがた言うことではないと私は思っている。子どもたちの休みが増えるため学力が落ちるとか,家で面倒が見られないとか,何もすることがなくて困るとか,不良化するとか,ばかばかしい論議ばかりだ。

「学力が落ちる。」では,これまで六日制でやっていたから学力が高く保てたのか,と言いたい。以前から五日制でやっている多くの国(五日制の国の方が多いのですよ,特に先進国といわれる国々では)と同じ制度になって,日本の子どもたちの学力が落ちるとすれば,日本人の能力が諸外国と比較して低いということなのか。
 補習を増やすとか,塾に行かせるとか支援するとか。しかも,五日制を進めてきた文部科学省がそれを言っているのだからけしからん。

「家で面倒が見られない。」なんて,今まで面倒を見ていたのならそんな言葉も許そう。とにかく,これまでと異なるのは,土曜日の午前中,月に2日だけ学校に行かなくなるだけなのだ。面倒が見られないのなら別に見なくったっていい。子どもはそれなりの過ごし方を考えると私は思っている。

「不良化する。」に至っては開いた口もふさがらない。自分の子どもをそこまで信頼していないのだろうか。それでは,40日間毎日休みになる夏休みに,子どもたちはみんな不良になっているとでも言うのか。
 
 学校五日制が月1回取り入れられたのは平成4年9月のことだった。教頭になって1年半ほどの私は,その土曜日に子どもたちがどんな動きをしているか,校区を見て回ったものだった。結果は,子どもたちには特別な動きは全くなかったといっていい。何かそんな心配をすることの方がおかしい気がした。

 イベントだとか受け皿だとか,今もいろいろ考えられているらしい。少なくともそんな何かをできる仕組みがあることはいいことなのかもしれない,。でも,本来は違うのですよ,と言いたい。これは,地域,家庭,家族,個人にまかされた貴重な時間なのですよ,と。さらに,それがうまく自分で計画・運営できない人は,今後の人生もうまく運営できるはずがありませんよ,と。