そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.250  勝見薬師堂

 これまでにも何度か取り上げている勝見薬師堂。本尊は東方瑠璃光薬師如来で,薬師堂本堂に「宝永2年(1705)」と記されている仏龕(がん)に納められ祀られている。京都の仏師の手によるもので,町文化財に指定されている。なお,この御本尊は仏龕から出ることはなく,誰の目にもふれることはない。

 さて,その薬師堂である。屋根が傷み,雨漏りするところもある。建物自体もずれや狂いが生じている。修理しなければならない時期に来ていることは確かだ。
 区長はどこから調べてきたのか,松平壱岐守仲澄(いきのかみなかずみ)公が御本尊を寄進,その折薬師堂を改築し境内地の整備をされた,来年にはそれから300年が経過すると言う。そこでこの際,屋根の葺き替えなどの工事をして,300年記念の工事をしたいと。

 ただし,果たして300年前の建物かということになると,それは誰にも分からない。少なくとも数十年前の建て増し工事などは記録にも残っているのだが,柱が300年経ったもの,などということは不明なのである。
 また,公民館のような建物は,地区民全員に関る公共のものであるという認識に立つことはできるが,薬師堂は宗教によるものという考えが大方である。町の補助金は望めないし,地区の会計をあてることもできない。結局は寄付に頼らなければなるまい,ということになるのだが,この不景気のさなか,どれだけ集まるだろうか。

 しかし,ともかくそれについて検討する委員会が召集された。しかし,先ほどの考えが大勢を占め,さらに,ほんとうに今工事に踏み切らなければならないのか,それに関する資料が欲しい,という。つまり,薬師堂の管理を勝見がするにしても,工事を来年しなければならないのか,どれだけの金がいるのか,多少でも専門的な目で見た資料がなければ検討のしようがないというものだった。

 早速地区内の建築関係者を集めて現場査察を行った。300年経過しているかどうかはわからなかったが,確かに傷みは相当のものだった。工事は何度かにわたって行われたものらしく,軒が2段になっている。瓦はすべて取り替えねばなるまい。土台にも手を加えねばなるまい。天井には屋根の土が相当たまっているらしい。等々。

「区長さんが考えておられるような予算では,とてもできないと思いますよ。」
「屋根は何とかするとしても,下のほうにはとても手が回らない。」
「はぐって見ないと分からないところも多く,なんとも言えない。」
「安全管理のこともあり,いい加減なことはできないし。」
 この問題,なかなか簡単に行きそうにない。来年の祭りには間に合いそうにないが,さてどう落ちつくか。