そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.256  大雪(たいせつ)(大学時代の同窓会2)

 12月7日は二十四節気の一つ大雪。『2003年版 山陰の気象暦と潮汐』によると,「大雪(太陽黄経)255°北国や山では大雪が降り出す。山茶花が咲き出す。」とある。暦に合わせたように寒くなった。
 ここのところ暖冬傾向で,気象庁も長期予報で「暖冬」と発表した。もっとも,気象庁の予報もあまりあてにはならないが,長期予報は当たることもあるから心に留めておこう。

 鳥取の初雪は,平年12月3日となっている。やっぱり今年は遅いようだ。初霜(平年12月1日),初氷(平年12月6日)もまだだ。しかし,暦に追いつこうとするように今年2度目の霰を観測した。
 霰と言うのか,霙と言うのか。『俳句歳時記』(平凡社)で見ると,
 雪や雨が天空の冷い層にぶつかって,氷粒または固い雪粒になって降るもの」
 雪が空中で解けかけて,雨まじりに降るもの」
と使い分けている。しかし,ここまでが霰でここからは霙,などという見分けは,なんの科学的データもない私にはできない。まあ,「霰」としておこう。

 そんな寒い日,勝見では「納め薬師」という行事を行った。実は,薬師に関る行事は年3回ある。1月の「初薬師」,4月の「薬師祭り」,12月の「納め薬師」である。
「宝永元年(1704)池田藩西館の松平壱岐守が薬師堂を建立し,薬師如来に深く帰依して以来,勝見の先人が279年の永きにわたりお守りして今日に至る。その間,享保元年(1716)には勝見に疫病が蔓延し,老若男女の民が死亡するなど非常に難儀したが,薬師如来信仰によりやっかいな疫病も雲霧が晴れるようになくなったといわれている。」

 近くのお寺(この寺は曹洞宗なので,薬師堂とは直接の関係はない)の住職にお経を上げてもらい,薬師講の人がご詠歌を唱える。私たち役員は一緒にお参りするというだけである。
 しかし,この宗教行事を地区としてずっと見ていかなければならないのだろうか。誰もが持つ疑問である。前にも書いたが建物の修築から毎年の行事のお布施まで。どうもどこか間違っているように思われてならない。確かに有形・無形の文化財なのだが,自治会の活動範囲に宗教をどこまで入れていいのか。

 そんなことを考えながら堂に座っていると,外は霰の音しきり。隙間風が冷たい。風邪を引かねばよいが。

  玉霰幽かに御空奏でけり  川端茅舎