そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.259  芸術の冬見て歩き2(大学時代の同窓会2)

 県立博物館で「発掘された日本列島2003〜新発見考古速報展」が開催されていた。「いにしえ暮らし身近に」などと新聞で大きく取り上げている。これは見逃してはならない。
 最近県内でも妻木晩田遺跡,青谷上寺地遺跡と,考古学を塗り替えるような発見が相次ぎ,興味津々というところだ。上寺地遺跡は隣の青谷町なので,資料館にも行ったし研究員や発掘現場の所長の話も聞いた。一帯が弥生時代の遺跡で,学校統合にも影響を与えているくらいだ。

 さて,県立博物館の速報展である。
 旧石器時代の石器,剥片は,北海道から九州まで広く分布する。
「このころから日本全国どこでも同じような暮らしをしていたのだなあ。」
 何でもないことのようだが感心してしまう。北海道や東北地方も今より気候が温暖だったと言われていて,暮らしやすく,日本の島々に長い年月をかけて広まったのだろう。

 縄文式の土器は三万年以上前に作られている。ついこの間『日本やきもの史』(美術出版社)で読んだので,私はそのあたりのところにはちょっと詳しい。読んだばかりのところを妻に披瀝しようと思ったら,縄文時代には僅かなコーナーが割り当ててあるだけですぐ終わってしまった。なんだか拍子抜けの感じがする。
 亡くなった子どもの足形と思われる土版とか,赤漆塗りの鉢などは興味深く見た。
 弥生時代,古墳時代,古代,中世,近世と駆け足に見ていく感じである。鳥取県の遺跡のいくつかは別の部屋に展示してあったが,これもあまり多くなく物足りなかった。
「速報版」ではこのあたりまでの展示しかできないのだろうか。

 ギャラリーあんどうでは「橋詰哲夫 木彫展」が行われている。橋詰氏から案内状が来た。「今回は木彫で,龍と遊んでみました。ご高覧いただければ幸いです。」
 橋詰氏の展覧会を訪れたのは2度目である。昨年の10月「詩と版画展」をやはりこのギャラリーでやっていた。新聞で手皮氏の紹介記事を読んで見に行き,詩集を買って少し話をした。(No.89参照)

 彼は彫刻家なので,今回のほうが本気の展覧会だろう。ギャラリーに入ってみると,彼は中央のテーブルで誰かと向かい合って話をしていた。
「作家とお知り合いの方ですか。」
と係りの女性に尋ねられたが,私は,
「いや,少しだけ。」
と言って彼らの話の邪魔をしないようにした。

 いずれも龍の彫り物である。線彫りのもの,欄間になったものなど,2・30点が展示してあった。龍といえば何か恐ろしいものを想像しそうだが,これらの作品にはそれ以外の要素があるように思えた。去年見た「詩と版画展」に共通するものがあった。前回私は次のように感想を書いている。
「もちろん詩の中に鋭さや厳しさはあったが,あたたかさとやわらかさも滲んでいた。それがオリロフというノッペラボウ(作者の分身か)に象徴されているのかもしれない。」

 そんなところに彼の言う「遊び」があるのかもしれない。