そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.273  久々の講話大学時代の同窓会2)

 学校勤務のときは,全校朝会の校長講話が一つの仕事であった。最近は全職員が交代で話をする学校もあるらしいが,やっぱり全校の子どもたちと職員が校長の話を聞く機会は持ちたいものだ。子どもたちに直接話をする数少ない時間なのだ。そのために校長は聞かせる話をする努力をしなければならない。

 長い話,まずだめ。聞き手と場合によって話の長さを考えること。
 時と場所に合った話をすること。時の話題を敏感に捉え,子どもの動きをよく見ていなければならない。職員が聞いてもためになる話をすることも大事。大人が聞いていい話は,子どもにとって悪いわけはない。
 だから,とっても難しい。もちろん,去年と同じ話をすることはできない。聞き手は,「なんだ,それだけしか話すことはないのか」と値打ちをつけてしまう。
 いろいろ考えながら,なんとか7年間工夫して話をしてきた。

「なんと,今度のとうがらし味噌で話をしてもらえんかな。」
 区長が私に話しかけてきた。「とうがらし味噌」の行事については昨年も書いた。昔勝見が大火事でほとんどの家が焼失してしまったときの話。食べるものにも不自由をした村人たちは,とうがらし味噌を食べてその苦しみをしのぎ村の復興を果たした,という言い伝えである。
 それ以来毎年旧暦の1月4日にとうがらし味噌を作り,この1年火災やその他の災害がないようにと薬師堂で祈願するようになった。その折に一言説教というわけではないが話をする。それを引き受けてほしいと言うことだ。

「まあ,考えてみましょうか。」
 この返事がもう引き受けることを意味するということは分かっている。私にはそのとき既に一つの考えがあった。
 火災を出さないように,地区や住民の生命・家屋・財産を守る。このことがとうがらし味噌行事の大きな意義ではあろう。しかし,もう一つこれからの勝見を創っていくことを考えていかなければならないのではないか。そのためには,子どもを育てること。子どもたちが勝見をどう見ているかを知ることだ。作文や詩に表れている子どもの声を読んでみよう。

 勝見で行われている行事や,活動などを捉えている作文や詩はあるのだろうか。もしないとすれば,勝見は子どもたちにとって魅力のないところなのだろう。残されているとすれば,どんな見方をしているのだろうか。勝見でなくても,子どもたちと地域の繋がり,人との繋がりはどうなっているのだろう。
 我が家にも多少の資料はあるのでまずそれに当たり,学校にも行って文集など調べてみることにした。

 そこから勝見のこれからを考えてみよう,という話ができそうな気がする。
 久し振りの講話である。もっとも今度は大人が相手だからこれまでとは大分勝手が違うが,ちょっと面白い話が組み立てられそうな気がしている。