そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.282  蜂谷さん

  今年の第79回正和会(毎年建国記念の日に行う勝見住民の親睦会。No.146参照)の講演は蜂谷弥三郎氏の話を聞くことになった。寒い日が続き集まりが心配されたが,好天に恵まれ多くの人たちの集まりを見た。た。
 蜂谷氏についてはテレビでもたびたび取り上げられたから,知っている人も多かろう

 1918年滋賀県生まれ。私たちの勝見では「はちたに」と呼ぶのだが,滋賀県では「はちや」で呼ばれているという。そういえばテレビも「はちや」で通していた。
 1941年父のすすめで北朝鮮ピョンヤンへ渡る。1945年終戦を迎え,日本へ帰ろうとしているところに,1946年スパイ容疑で捕えられる。全く身に覚えのないスパイ容疑を問われて,10年の刑でピョンヤンからシベリアの囚人収容所へ。以後50年の虜囚の暮らしを過ごすことになる。

 3年の減刑で7年後に出所するが,「スパイ」の疑惑が晴れたわけではなく,周りの目におびえながら暮らす。帰国は許されず,クラウディア(クラヴァー)と農民暮らし。
 ソ連邦の崩壊により,自由が認められるようになり,1997年帰国が実現した。
 蜂谷さんは,その奥さんと娘さん夫婦が私の家の近くで暮らしておられる。
 私は少しはそのようなことを聞いてはいたが,帰国のころまで詳しくは知らなかった。帰国が決まってテレビ局の動きが激しくなり,その事情を知ったのだった。

 正和会の講演では,私が講師紹介をすることになる。早速図書館で関連図書を調べる。「シベリア虜囚半世紀」(坂本龍彦)は,事実にもとづいて書かれているものと思われ,非常に興味深く読んだ。
 
 講演会,30分という短い講演の時間だったが,たいへんな,そして,想像もできないほどの極寒のシベリアの地で,生への執着,生活の知恵,工夫,苦労,努力を十分感じ取ることができた。おそらく,聞いておられる人も同じような気持ちで聞かれたと思う。
 その「歴史の間違いと,それに伴うたいへんにな犠牲」に,私たちはほんとうはもっと早く気づかなければならなかった。
 私は,さらに考えていた。蜂谷さんの「生]への志向を支えるものとして「ふるさと」がいかに重要な役割を果たしていたか,を。氏が彼の地で歌ったという童謡・唱歌,望郷の思いをこめた短歌に,それが表されていると思った。