そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.290  焼き物の里を訪ねて(北九州)2

 佐賀市のホテルに到着して,夕食までに少し時間があったのでぶらりと街に出る。ホテルの近くで生け花展をしているらしいが,花を持って出たり入ったりしているから,
「準備しているところだろう。明日の朝時間があれば見に来よう。」
と通り過ぎた。駅前付近を散歩する。しかし,面白そうなものは何もない。諦めてホテルに引き返す。さっきの生け花展の会場を見たら看板がない。
「なんだ,後始末だったのだ。」

 26日も快晴。伊万里に向けて出発の前にどこか見るところはないだろうか。
 佐賀市歴史民俗館は,博物館のような一つの建物ではない。明治・大正時代の歴史的価値のある3つの建物の総称である。通常は午前9時開館らしいが,「佐賀城下ひなまつり」を行っている関係で10時かららしい。
 このあたりの家の軒には「佐賀城下ひなまつり」の飾りがつるされている。旧古賀家の前を通りかかると女の人が準備をしていた。
「10時にならないと見られませんか。」
「中に入ることはできませんけど,外から見るのはいいですよ。」
 庭に入らせてもらって窓ガラス越しにひなまつりの様子を見る。座敷いっぱいにお雛様が並べられている。この家に飾られているのは創作雛。佐賀藩の裃の紋様鍋島小紋を衣装に,人形作家福岡伊佐美さんの作品。「曲水の宴」をテーマにしているという。ガラス越しではあるが,50畳の部屋に200体というお雛様の世界を少し味わうことができた。

 9時半ごろ佐賀出発。国道34号線を西へ向かう。通勤時間帯でないので予定よりも早く伊万里についた。ここでは,伊万里・有田焼伝統産業会館(写真)などを見て,数多くの窯元を覗いてまわる予定。ところが,片岡鶴太郎工芸館(伊万里陶苑)がすぐ近くにあるのを見て立ち寄る。この工房のチラシには,「痴陶人に魅せられて,片岡鶴太郎工芸館伊万里に誕生」とある。
澤田痴陶人
 1997年5月〜8月,大英博物館である個展が開かれる。その主役が澤田痴陶人。現代の日本の陶芸家としては初めての快挙だ。
 澤田痴陶人は1902年、京都に生まれる。日本画を志すが、陶芸に転向。京都陶磁器試験場伝習所を卒業して、河井寛次郎,濱田庄司らの指導を受けた。
 1950年には美濃焼の安藤知山窯に入るが、知山窯社長の死去に伴い,佐賀県嬉野へ移住。伊万里,有田,波佐見,嬉野の陶磁器デザインを指導。1969年には伊万里陶苑を設立。専属デザイナーとして,二千点近くの作品を残し,1977年4月,74歳で没した。(『美しい和食器の旅 有田・伊万里・唐津及びその周辺 』清水元彦編)

 伊万里焼の特徴として次の3つが上げられている。
色鍋島 白磁の肌に渋い染付けと赤・緑・黄の三色を基調とする美しい上絵を描く
鍋島染付 呉須の藍色で描かれており,落ち着いた雰囲気の色合い
鍋島青磁 青磁原石を細かく砕いた釉薬をかけて焼き上げたもの

 大河内山には何十もの窯元が並ぶ。全体をざっと見てまわる。結局買ったのは,鍋島染付のコーヒーカップと鶴太郎の亀の箸置き。さて,伊万里市街まで出て昼にしよう。(続く)