そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.291  焼き物の里を訪ねて(北九州)3

 伊万里で昼を食べながら考える。はじめは有田に行く予定だったが,伊万里・有田の磁器ばかり見るのでなく,唐津の陶器を見ることにしようか。
「昔から,焼き物といえば『唐津,瀬戸』と言っているじゃない。」
「そうだなあ,茶碗を見れば唐津と言うくらいだ。」
 やっぱり唐津を見なくてはなるまい。地図を出して,だいたいの予定を立てる。唐津は,窯元が集中しているということはなさそうだから,とりあえず「中里太郎右衛門陶房」を訪ねてみよう。

 国道202号線を北にとる。郊外はらくらく走れるが,市内に入るとそうは行かない。唐津駅まではなんとかたどり着いたがその後どう動いたらよいか。市内の詳しい地図を持っていないので,細かいところが分からない。とうとう駅の案内所に立ち寄って,地図を見ながら聞くことにした。

 中里太郎右衛門陶房は,12代・13代の作品と古唐津の展示作品がすばらしい。もちろん値段はとうてい私たちの手の出るところではない(ウン十万〜百万円以上)から見るだけ。
 でも,どうしてこんなに高いの。唐津焼にはもうちょっと庶民的なところも期待していたのに。すぐ近くに中野窯がある。道路が入り組んでいて入りにくいが訪ねてみよう。窯元の店舗を見てまわるが,やはり結構な値段がする。まあ目の保養。
 いろいろあって安くできないことがあるのかもしれない。しかし,これでやっていけるのだろうか。買う人がなければ,商売は成り立たない。
 しかしこの値段の高さの原因は,後で調べて分かった。

 絵唐津,朝鮮唐津,斑唐津,三島唐津,粉引唐津,黒唐津……。多様な技法を持つ唐津焼は,肥前地方一帯で焼かれた陶器の総称で,伊万里と同じく積み出し港の名前がつけられたものである。(中略) 現在,唐津焼の窯元数約五十軒。かつての御用釜,御茶碗釜として続くのは,中里太郎右衛門陶房ただ一軒のみである。(NHK出版『日本の焼き物 伝統の窯元を訪ねて【西日本編】』より)

 中里太郎右衛門陶房は藩の御用釜だったのだ。鳥取の因久山焼がそうであるように格式を重んじている(要するにちょっと威張っている)。値段はそれ相応に。そうだと知っていれば,なんとか他の窯元も訪ねたのに,と後で思う。
 窯元は唐津市近辺に散在しているから,道不案内な私たちにはよく分からない。遅くなってはいけないからと,今日の宿泊地武雄まで車を走らせる。走る道々窯元の看板を見かけた。

 武雄は嬉野と並ぶこの辺り有数の温泉地。ゆっくりと温泉につかって旅の疲れをとろう。分かりやすい国道を選んで走り,午後4時ごろにはホテルに到着した。
 夕食までしばらく時間がある。武雄近辺の観光をしよう。ホテルの隣には日本庭園「慧洲園」があるし,ちょっと郊外に足をのばせば「樹齢三千年の川古の大楠」があり,世界一の登り窯「飛龍窯」がある。行こうか。(続く)