|
3月の定例会は「鳥取市覚寺吉川家墓地周辺の観察」であった。 〜〜豊臣秀吉のぐんぜい三万人が,とっとりのしろをせめおとそうと,とりかこみました。城には,五千人がたてこもりました。たべものは,だんだんすくなくなっていきました。いくさは,四か月もつづきました。城のなかでは,たべものがなく,うえじにする人がおおくでてきました。とのさまの吉川経家は,城にたてこもっている人たちをたすけるたるめに,せっぷくして,城をあけわたしました。〜〜 たったこれだけの文章だったが,短く,子どもにも分かるようにするため何度も何度も書き直したのを思い出す。 さて,経家公墓所はきれいに公園化されて子供たちの遊び場にもなっているようだった。大きなタブの木がある。気高町逢坂地区にもタブの巨木があって根元にほこらが祀られていた。今度その辺りの観察が予定されているから,通りかかったら案内しよう。 清末先生は,オオイヌノフグリの受粉についての説明をされた。この時期,虫を媒体とする受粉が夕方までにできない場合,おしべの動きによって自家受粉がなされるのだそうだ。種を護るための植物の知恵である。 |