そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.295  覚寺・経家墓地周辺(3月観察会)

 3月の定例会は「鳥取市覚寺吉川家墓地周辺の観察」であった。
 25年ほども前になるだろうか,『えほん風土記 とっとりけん』(岩崎書店)の執筆に関ったことがあった。その中で「鳥取城,城ぜめ」の文章は私がまとめたものである。

〜〜豊臣秀吉のぐんぜい三万人が,とっとりのしろをせめおとそうと,とりかこみました。城には,五千人がたてこもりました。たべものは,だんだんすくなくなっていきました。いくさは,四か月もつづきました。城のなかでは,たべものがなく,うえじにする人がおおくでてきました。とのさまの吉川経家は,城にたてこもっている人たちをたすけるたるめに,せっぷくして,城をあけわたしました。〜〜

 たったこれだけの文章だったが,短く,子どもにも分かるようにするため何度も何度も書き直したのを思い出す。
 最後まで気になったのは,「豊臣」だった。このとき秀吉は「羽柴」だったからである。しかし,「豊臣」の方が一般に知られていてよく分かるので,「あとがき」で断っておこうということになった。しかし,これでよかったのか,いまだにどうも気になって仕方がない。

 さて,経家公墓所はきれいに公園化されて子供たちの遊び場にもなっているようだった。大きなタブの木がある。気高町逢坂地区にもタブの巨木があって根元にほこらが祀られていた。今度その辺りの観察が予定されているから,通りかかったら案内しよう。

 清末先生は,オオイヌノフグリの受粉についての説明をされた。この時期,虫を媒体とする受粉が夕方までにできない場合,おしべの動きによって自家受粉がなされるのだそうだ。種を護るための植物の知恵である。
 ツチグリ(栗)の繁殖についてもなかなか面白い話が聞けた。
 葭原(あしはら)神社から鳥取自然休養林に入る。ここから山歩きの遊歩道が太閤が平,久松山,摩尼寺方面へと広がっているらしい。久松山には何度か登ったけれど,こうして公園化されつつある現状を見ると,また将来を考えてしまう。
 
 キブシがぶらぶらと房をぶら下げている。
 キブシ キブシ科キブシ属の落葉低木。「待ち合わせ,出会い」早春の花木としてふさわしい花言葉がつけられている。我が家の鉢植えのキブシも,新しい出会いを呼ぶか。今度じっくり見てみよう。