そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.296  どうなる,お当宿

 祭りが近づいた。勝見の薬師祭りについては,これまでこのページでも取り上げて書いている。「祭り」といえば神社の祭りが多いが,これは勝見薬師堂に祀られている薬師如来,つまり,仏の祭りである。

「霊験あらたかで,近郷近在の人びとの信仰を集め,池田家の紋所が瓦や幕に使用されているところからもわかるように,歴代藩主の崇敬もあつく,勝見温泉に湯治のつど参詣したことが『勝見御入湯日記』にみえる。宝永年中(1704〜1711)池田藩の分家松平壱岐守(光仲の次男仲澄)が江戸で罹病し,生死をさまよった時,さんぜんと輝く当薬師如来のお告げにより翌日から自分でも驚くほどの快癒ぶりであったという。そのため,仏像や御堂の再興をはじめ燈明料等を寄進した。
 例祭は従来,毎年秋の彼岸の中日に行われていたが,昭和4年より春の4月24日に改められ,昭和35年以降,4月の第3日曜日になった。(以下略)」(『いで湯の里 勝見のあゆみ』より)

 ちょっと長い引用をした。
 祭りは前日の宵祭りから始まる。薬師如来の名代が屋台に乗せられて1軒の民家に泊まるという行事が行われるのだ。つまり村中を巡幸するのに,村に1泊するわけだ。この宿を引き受ける家を「お当宿」と言っている。お当宿を引き受けた家は薬師如来の名代を一晩お護りし,客を迎えて接待しなければならない。
 以前はこのお当宿がすんなりと決まっていたというが,戸数が増え,生活,家庭の状況,人々の考えも変化し,多様化して,だんだん引き受け手がなくなってきた。

「120戸もあるのに,順番にしたら100年に1回でええでないかな。うちはちょっと前にしたばっかりですけえなあ。」」
「年寄りばっかりの家で,そんなことはようしません。」
「金がかかるでしょうが。とってもできませんで。」
「うちよりももっと先にされる家があらせんかな。うちはまんだまんだ先ですわ。」
「信仰のこともありますけえなあ。うちは宗派が違いますけえ,するわけにいきません。」
「祭りに対する住民の気持ちがいけません。うちの地区は今年の祭りはやめます。」これは,ある勝見地区以外の声。

 役員会では個人の家でなくても,公民館で行う方法もあるのではないかとの声があった。一晩を地区の代表でお護りすればいいのだし,その方が多くの人で賑やかにお祭りができるのではないか。(私はその考えにすごく賛成している)
 しかし,古いしきたりを残す地域では,そんなことはなかなか通らない。今年は300年近く続いてきたという「お当宿」が途切れるのかもしれない。
 それをみんな望んでいるのだろうか。