そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.299  近頃の「読む」

 町立図書館ができてもうすぐ半年になる。私はせっせと通い続け,よく読んだ。まとめて借りるよりも,1・2冊ずつ借りて読むことにしている。多分これまでに100冊は借りることになるだろう。調べるためのものは必要なところだけしか読まないこともあるが,それは数冊しかないから,ほとんどのものを全部読んできたことになる。
 最近常に2冊を手元に置くようになった。1冊はフィクション,もう1冊はノンフィクションとしている。これは異なるジャンルのものなので,並行して読んでも混乱することがないのだ。どちらか1冊を読み終われば返却して次を借りる,休館日があったりして2冊とも読んでしまえば2冊を借りる,という具合だ。
 こうして,図書館に足を運んだ回数も70回以上になるだろう。

 年度末になって学校関係では文集を発行することが多い。
 逢坂小学校の児童文集「くろぼこ75号」は卒業式のときにいただいた。70号を越えると言えば,ずいぶん大きな数なので現職のときに調べたことがあった。
「文集が出される時期である。逢坂小学校では文集『くろぼこ72号』を年間の作文指導のまとめとして発行した。本校の文集について少し調べてみた。『72号』という号数の大きさに驚いたが,年間2冊以上を発行することもあったらしく,創刊号の発刊は昭和20年代の終わり頃のようだ。」(逢坂小学校ホームページ平成12年度「校長室から」より)
 号数がそのまま年数ということではなさそうだ。それにしても50年もの歴史をもっていることになる。これも学校や地域の,また本人にとっての貴重な記録となるだろう。

 県児童詩文集「あじさい49集」(鳥取県小学校国語教育研究会発行)が送られてきた。これも現職の頃ずいぶん関ることの大きかったものである。
 国語教育の中で作文(詩も含めて)教育の大切さを訴えると同時に,相変わらず応募数が減少していることを嘆いておられる。このことに対するさまざまな取組みや提案に対して,研究会の方々に本当に頭が下がる思いがする。
 疑問に思ったのは,「詩の部・総評」「作文の部・総評」がなぜなくなったのかということであった。これは,第14集から続いてきたものである。14集の「あとがき」で田中隆夫先生は次のように述べておられる。
「この本の編集で,ことしくふうしたことのひとつは,みなさんの教科書と同じような本の形にしたということです。(中略)もうひとつは,編集の先生がたにおねがいして,ひとつひとつの作品のあとに感想をかいていただいたことと,詩,作文全体についての意見をつけていただいたことです。」
 このスタイルが40年近く続いている。
 私も詩の総評を何度か書いてきた。子ども達への呼びかけというより,先生方へのお願い,訴えという気持ちで書いてきたつもりである。それによって,どこにどれだけの効果があったのかは分からない。自己満足だ,と言われればそうかもしれない。
 子ども達に作文指導をしている先生方の集まり。文章の一つ書けない人はなかろう。だいいち,そんなことを子どもの前で言えるはずもない。
 40年続いてきたことを変えていけないというのではない。それなりの理由があれば大いに変えていくのがよい。しかし,その理由が分からないとなると,いったい私は何をしてきたのだろうかと思ってしまうのだ。