そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.302  文化は自分で

 気高町健康増進・健康管理センター「ゆうゆう健康館けたか」は昨年,町立図書館とほぼ同じ時期にできた。
 10年くらいも前から計画があって,県も予算をつけたのに計画倒れになり,大問題になったいわくつきのものだが,温泉利用の健康センターは町にとってどうしても必要ということでなんとか陽の目を見た。ただし,この手の施設は県内を見ても既に相当数造られていて,珍しさも何もない(と言ったら言い過ぎか)。
 しかも,鳥取市との合併をするのしないの今になって問題が浮上したため,合併を見越して造ったこれらの施設がこれからどうなるか,なかなか難しいところである。
 そのことについては,これから機会をとらえて私の考えを述べるとして,今は,できてしまったそれらの施設を利用した文化活動について考えたい。

 町立図書館はできたが悲しいかな,それはそれは小さな物で,会議室・研修室と言っても15人も入ればいっぱいという部屋が一つあるだけである。そこを使って行える文化活動は範囲が限られる。収容能力がないのである。
 したがって図書館独自の事業を持つ場合,場所がない。

 今回鳥取大学の落語研究会にお願いして,町立図書館主催の「落語を楽しむ会」が行われた。
 鳥取大学の落語研究会は私が在学中の40年前にはなかった。私は結構落語が好きなので,そのころあったら文芸部でなくここに入っていたかもしれない。

 さて,公演はお願いしたものの場所がない。仕方なくゆうゆう館の会議室を使うことになる。ここは,うまく使えば200人は入れる部屋だ。2月の人権研修会「一人芝居」もここで行われ,私も参加した。
 今回の落語の会では「粗忽長屋」「田楽喰い」「寿限無」の3題を公演した。素人にしてはなかなかよく演じていたと思う。私は,落語は好きだが自分が演じる立場では考えたことがなかったので,ああ,やってみたかったなあと感じたひとときだった。やはりその当時,部活動とかサークルが目の前になかったから現実感がなかったのだろう。

 さて,問題は見る側だ。集まったのは僅かに20人。しかも半数は子ども。土曜日の午後,チラシは全家庭に配られたのに,たったこれだけしか来られないのだろうか。落語の魅力はそんなにもないのか。他にどんな楽しいことがあったのだろうか。これでは楽しみ笑う落語の会にはならないのではないか。
 確か2月に行われた人権研修会の「一人芝居」の参加者も30人くらいだったと思う。町民の文化意識・人権意識をどう考えたらよいのだろう。