そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.307  町史編纂

 教育委員会に頼まれて町誌編纂の事務をすることにした。気高町の町誌は昭和52年に出されたものがある。それから30年近くたって,書き加えなければならないこと,書き直さなければならないものがたくさん出てきて,それならいっそのこと全体を書き直そうということになったらしい。現在編纂委員8名と教育委員の事務局で仕事に当たっているが,専任の事務担当者を入れなければやっていけなくなったらしい。月十日間ということで引き受けることになった。
 教育委員会の部屋の隣のスペースが空いたので,結構大きな部分が利用できることになった。もっとも,これは物置のようなところではあるが。

 これまで3回ばかり会が持たれているということで,進捗状況を見せてもらう。アウトラインは決まっているようだが,原稿に向かうのはこれからで,17年度末には刊行したいという。印刷にかかってからでも相当の日数がかかるだろうから,今年度中にはあらかたの原稿が仕上がっていなければなるまい。もちろん写真などもそろえなければなるまいし,これはたいへんな作業になりそうだ。

 既に出て来ている原稿が十数枚あったので,パソコンに入れたら6ページほどになった。仕上がれば全体で1300ページというから,気の遠くなるような話だ。特に歴史の分野は,難しい用語が多く,固有名詞など1字ずつでないと打ち込めないものも多い。原稿1枚に1時間もかかってしまった。もちろん執筆者の中にもパソコンで原稿を書く人もあると思うので,全部が全部私が書くということではなかろうが,何にしてもたいへんだ。

 これまで,『気高町誌』や『勝見のあゆみ』などをこの通信を書くための資料としてよく使ってきたが,今度はそれを作る側にまわることになる。
 資料についても町内で言えば上記のほかに,手元にも『逢坂村誌』『正條村誌』『酒ノ津史散歩』などがある。各地区の村誌・部落誌などもあると思われるし,学校誌や公民館,寺社にあるものもあろう。県の公文書館や図書館,博物館にも多くの史・資料があると思われる。
 そういう資料を見て,何かに活用することは好きなのだが,中にはわけの判らないものもあるだろうし,これからの悩みは尽きない。

 勝見の薬師祭りが近づいて,役員としてその準備も結構忙しい。何より残念なのは、読書の時間がぐんと減ったことと,このページを書く時間が取れなくなったことである。これまでのように2日に1回の更新は難しくなるかもしれない。
 祭りがすんだら生活時間の組み立て方を考えよう。