そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.31 /気象と歳時記

  今年は冬から春にかけてずいぶん暖かくて,桜をはじめすべての春の自然現象が,足早に駆け抜けていった。

ところで,季節の訪れを告げる代表的な動植物というのがある。『山陰の気象の暦・統計』(日本気象協会 中国支店)から5月に上げられているものを見よう。
キアゲハ(初見) ノダフジ(開花) トノサマガエル(初見) 春ゼミ(現れる頃)
  ウマヅラハギ(旬) カツオ(旬) ホトトギス(鳴き初め)
その他人々の生活に関するものとして,
新茶摘み 田植え 麦刈り(麦秋) 夏服
気象の言葉として走り梅雨も上がっている。ついでなから,今年はすでにそのような天気具合を示しているようだ。例年は5月24日頃だというが。今年は梅雨も早いようだ。

このように身の回りには,季節の変化を示す動植物などの動きが見られるのだが,果たして人々はそれを感じているのだろうか。「今年の桜は早い」という人は多いが,「今年は燕が遅い」という声は聞いたことがない。
コブシの開花が春の農作業の開始の目安になっていたということはどこかで聞いたが,果たして今農家はコブシを気にして農業を行っているだろうか。

気象に関する情報というのは,以前はずっと少なかったものだ。私の子どもの頃,公に流されるのはラジオと新聞,それも,天気図と今日明日の予報くらいのものだった。
だからその日の雲の動きや風の向き,気温や湿り気の変化は,重要な地域予報の要素となった。天気図も見慣れるとその読み方がわかってくるものだ。それに地域情報を入れると,天気の変化がわかってくる。
さらにそれに動植物などの動きや変化を加えると,長期予報も可能となる。

今は人工衛星などを使った,地球規模での天気の変化や,コンピュータを駆使した膨大な量の情報を処理して予報が出される。そして,リアルタイムでわかりやすく丁寧に,インターネットやテレビで届けられる仕組みになっている。洗濯はどうとか、旅行先のことまでも。

こうして私たちは,自分で天気予報をする必要がなくなった。自然の変化に気をつけることも少なくなった。見るとしても,それは観賞の対象としてのものになってしまった。そして,自然が私たちからまた一歩遠のいて行く。

昔人間は 星の動きを見て 天の行くところを知った
天変地異 心にひそむ人のたくらみ 生き死に
それから人間は 空のうつろいを見て 人の心を知った
花や鳥への同化 生きるものを愛する心
そして今人間は あらゆるものを見て 何も知ることはない
カラスの群れが 嗚呼(ああ)と鳴いて 空に舞っている
                                     行人                                                                (2002.5.13)