そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.328  散髪屋さん

 町誌の原稿打ちが一段落して,庭木の剪定も少しずつ。ちょっと週末に空いた時間ができた。そうだ,散髪でもするか。来週は祝賀会などさまざまな会合が集中しているので,頭の手入れくらいしておいたほうがよかろう。

 私は散髪があまり好きでない。いや,実際に行って,鋏やら剃刀やらで手入れが始まってしまえばどうということはないし,すんだ後のさっぱり感は好きなのだが,あの椅子に拘束された1時間を考えるとなんとなく「ま,明日でいいか」と,先延ばしをしてしまうのだ。そうしてぎりぎりまで延ばして散髪屋さんを訪れる。そんな日々であった。
 最近白髪が増えた,と自分でも思う。そのことは別にかまわないのだが,白髪という奴は黒い毛とは性質が違うらしい。両者がどうも馴染まない。ここは散髪屋さんに任せるかと足を運ぶ。

 私が訪れるのは近所のY理容室。40年くらいもここでしてもらっている。40年ほど前,Yさん夫婦が店を開いてからの客の一人だ。勤務地の関係で居住地を変えた時期を除いて,私の散髪はずっとここだった。
 だんなの方は大分前に亡くなって,今は息子が中心になってやっているが,おばあさん(Yさん夫人)の方もまだ仕事ができる。私のような昔からの客には,おばあさんがあたることも多いようだ。

 そういえばだんなが元気だったころ,私が行くと,
「清水君,(彼から見ると私はいつまでも学生くらいに見えたのかもしれない)この椅子がどのくらいの値段か分かるか。」と,たずねられた。
 新しい理容室用の椅子を買ったという。私が,
「さあ,見当もつかない。」と言うと,
「〇十万円だ。」と言って,私をその椅子一番の客にしてくれた。
 今は息子が中心の散髪屋さんだが,それでもちょいちょい無理を聞いてやってもらうこともある。

 息子の散髪屋さんはバレーボールの関係の話をよくする。中学校と高校の保護者会の役をしていて,コーチも時にはやっているらしい。気高中学のバレーボール部の昔のことなら,私の方がよく知っていると思うが,最近のことでは逢坂小学校の卒業生のことが話題になる。
「逢坂小学校の卒業生が入部して活躍しているんですよ。」
「S君,J君,K君,よくやっていますよ。」
 私が校長のころからスポーツ少年団のバレー部でがんばっていた子達だ。
「がんばっていますか。」
と,私もまんざらでもない。

 などと私の散髪40年を思い起こしていたら,終わっていた。