そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.344  十重二十重

  いっしょに勤めていたU先生がひょっこり見えた。1冊の本を出して,
「この詩集なんですが,読んでみてください。」
 手にとって見ると『十重二十重』(碧天舎),著者は「たけうら」としか書いてない。
「たけうらって誰?」
「小鷲河小学校の卒業生で,なんとかいう女の子。」
 竹浦という苗字はその地区にはなかったし,結婚して改姓したということでもないというし,「木もと竹うら」という言葉があるから「きもと」かな。でも,それにも心当たりがないし,といろいろ考えていると,新聞の紹介記事に顔写真が載っていた。「あっ,これなら見覚えがある。へえ,この子が詩集をねえ。」記事によるとペンネームはやはり「木もと竹うら」からとっているとのこと。
 U先生は「感想をお願いします」と言って帰って行った。私の感想。

 植田先生にこの詩集を見せていただいて,読みました。とても私なんかが批評などできるものではないと思いました。個人的な感想くらいに思って読んでください。
 最初の詩「山紫水明」,これが作者のひとつの世界ですね。「まえがき」にある「それは空の向こうにある。あえて信じなくても,すでに存在する真実と言われている。」ここに作者たけうらさんの原点(原風景と言ってもいいでしょう)があるように思います。
 そこからさまざまなところへ,さまざまな人へ思いは広がり,しかし,また帰ってきます。帰り,また出発し,その繰り返しの中に真実を見出そうとする人の悩みや苦しみがあります。
「小さな点/はじめはいつも そうだった/それが遠い旅のはじまり/ゆっくり時をかけて/海から陸へ」(「四回転の奇跡」)
「今度顔を見に帰ろうかな/天気予報が知らせるから/ふるさとの空は/本日は晴天なり、と」(「天気予報」)
 私自身の26歳のときに出した詩集『空の山』のことを思い出していました。ちょっとシュールで,ニヒルな世界だったかな,と思っています。でも,『十重二十重』に比べたらイメージも言葉もこなれていなかった。今読んでみて,ゴツゴツ,ガサガサ恥ずかしいみたい。あちこち矛盾だらけだし。
 これからどんどん書いてみてください。誰か師事している人があれば,遠慮せずに教えてもらうといいでしょう。紙誌に投稿するのもいいと思います。詩人になるとかならないとかは別です。自分自身を磨くことだと思います。
 楽しみにしています。                清水行人

 あっ,もうひとつ忘れていた。書くことも大事だか,読むことはそれ以上に大事だと言うこと。もしたけうらさんがこれを読んでいてくださったら,私の感想に追加しておいてください。

 詩集『十重二十重』(たけうら著 碧天舎)1000円 よければ皆さんもどうぞご購読を。でも,どこで売っているのかな。