そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.351  夏休み

 夏休日(ナツヤスミ)われももらいて十日あまり汗をながしてなまけていたり
                    斎藤茂吉歌集「赤光」より
 
 4年ほど前,学校のホームページに次の文章を書いた。
〜〜 夏休み。おそらく大人のだれにも懐かしい何かが残っているに違いない。海で泳いだこと,虫取りに夢中になったこと,宿題に追われたこと,線香花火をしたこと,などなど。考えてみると,私の小さい頃,夏休みは8月いっぱいくらいだったのではないかという記憶がある。
「長い夏休みは、家で家族と生活するという大事な勉強があります。」と子どもたちに話し,職員室で他の職員に尋ねてみる。「7月25日くらいからだったような気がしますが…。」と,どうもはっきりしない。そして,「農繁休業というのがありました。」と,ひととし取った職員は言う。そうだ,あったあった。私の家は農家ではないから,特にすることもなかったと思うが,春秋あわせて1週間くらいあったのではないか。
 第一次産業中心だったその頃の田舎では,農機具といってもそんなには普及しておらず,子どもも大切な働き手だったのだ。だから田植えの時期,稲刈りの時期子どもを,学校を休ませて使わざるを得なかった。
 しかし,今はどうか。子どもどころか大人さえも必要がない。機械が使われ出して,人手は極端に不必要となった。子どもの手など邪魔な存在となってしまったのだ。「農繁休業」は不要となった。そして,「夏休み」も変化した。「暑いから休む夏休み」から,「家庭で過ごす夏休み」へと。学校では,家庭のさまざまな状況も考え無理なことも言えない。「仕事」というより「お手伝い」が通り相場になった。
 今,子どもたちは家で仕事をしない。することが何もないから。
                平成12年度逢坂小学校ホームページより〜〜

 聞くところによると,夏休みはさらに増えているようだ。今年の場合,海の日が19日の月曜日に入ったため,16日に終業式,17日から実質夏休みとなった。家でしなければならない仕事や手伝いが増えたわけではもちろんない。
 では何をするか。1学期の復讐や,2学期の予習をすることはよかろう。自由研究もいいことだ。家族でどこかに出かけたりするもよし。学校ではふだんから自主的生活態度の育成に努め,進んで調べ・学習する力をつけている。総合的な学習や生活科でもしっかりそういう力をつけてきた。
 しかし,どの子もそこまで考え,計画を立て生活することができるようになっているだろうか。ずるずるだらだらと四十何日かの休みを過ごし,すっかりふやけて2学期を迎える子どもも中にはありそうだ,とひそかに心配しているのは私だけだろうか。