そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.375  旅二題


  9月には二つの旅行をした。一つは中九州歴史廻り,もう一つは三瓶山自然観察の旅であった。ここのところ旅シリーズばかりになっているので,今回は簡単にまとめておく。
 新しい町誌の編纂委員の多くが,気高町歴史研究同好会のメンバーである。7月の編纂委員会のあと,暑気払の席を持った。そのとき,この歴史廻りの話が出た。毎年1泊2日程度の旅行を実施しているのだが,今年は2泊3日で国東半島の歴史探訪を計画しているという。私は以前から国東半島には興味をもっていて,次の国内二人旅行はそこにしようと思っていた。まさに渡りに船,
「それって会員だけの旅行ですか。」
「いや,今回のは人数をある程度そろえなくてはならないので,会員以外も大歓迎です。」
 9月18日,台風18号が各地に大きな被害をもたらして去った後で,ちょっと天気は安定しなかったが,参加者29名は浜村を後にした。当初は国東半島を中心の予定であったらしいが,その近くの名所旧跡が入ったため,少し国東半島が薄められた感じになった。
 吉野ケ里遺跡は弥生時代の「村」から「国」が成立していく時代の国内最大級の環濠遺跡。復元された建物,発掘した環濠や遺物などが40haにも広がっているという。これだけの施設の管理はたいへんだろう。国営だからできるのだろう。少し雨が降っていた。1日目の宿では雨漏りを経験した。台風で屋根が傷んでいるという。
 天気が心配された阿蘇は,それでも火口が見えるほどになっていた。しかし,草千里はガスがかかっていて望むことができなかった。
 高千穂峡は水量も多くすばらしかった。去年島根の鬼の舌震いに行ったが,それより一段といい。まだの人にはお薦めだ。由布院宿泊。
 三日目は由布院散策をして国東へ。熊野磨崖仏,真木大堂,富貴寺大堂の観光。どうしてこんなところに日本人の宗教観の原点とも言える神仏習合が育ったのだろうか。
 バスガイドの記憶力のよさ(歴史上の出来事はもちろん,年代,山の高さまで正確に覚えている)と,広島・山口から九州各地の台風被害の大きさに驚いた旅でもあった。

 もう一つの三瓶の旅は,去年に続いて二度目の参加。去年は女三瓶だけの登山だったが,今年は女三瓶から男三瓶まで縦走して下山する。どんな道かは分からないが,登山靴を買って万全の備えをする。
 1日目,雨模様。日程を2日目と入れ替え,近辺の観察。昼食予定の湖陵町神西湖付近でバスを降りたときから観察が始まった。
「カニやメダカやタニシがいたり,コナギが咲いていたりする。この辺りはまだ自然が護られているということです。」
 三瓶自然館サヒメル付近で,ゲンノショウコ,マツムシソウ,ウメバチソウなど。ショウリョウバッタ等の昆虫も観察。小豆原埋没林公園では「合体木根株展示館」の地下まで降りてみる。なぜか降りたのは私だけ。説明の館員が丁寧に説明をしてくれた。3500年前の杉の皮がふわふわと柔らかく暖かい。去年も泊まったロッジ「ログ三瓶」で,美味しい夕食(ここはいろいろ珍しいご馳走を,安い値段でしてくれます)。
 2日目,雨の心配が全くなくはないが多分大丈夫だろう。女三瓶からの縦走ルートはちょっとした岩場やガレバもあって面白かった。イヨフウロ,アキノキリンソウ,ヤマラッキョウなど多くの花々が私たちを迎えてくれた。雨の心配もなくなり,いい観察会となった。(後日談…登山靴効果ばっちり。後の疲れ全くなし)