そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.376  気高閉町


  さまざまな問題をはらみながら,11月1日には気高町がなくなり,鳥取市に編入となる。その閉町式が10月3日町立浜村小学校体育館で行われた。私にも一般町民招待者と言う案内が来たので,最初で最後の機会だからと出席した。

 気高町は,昭和30年(1955)7月1日,浜村町,逢坂村,瑞穂村,宝木村,酒津村の1町4村が合併して発足した。
 たまたま私がいましている仕事「新気高町誌の編纂」にその当時のことをまとめた原稿がある。いわゆる「昭和の大合併」と言われるもので,現在の気高町と鹿野町が一つになって合併するかどうか,大きな議論が沸いたのである。それぞれが一つの町として発足したのは,県側の勧めをかたくなに拒否した鹿野町の姿勢が通ったという経緯がある。
 さらに,気高町南部の鹿野町に近い一部の地域には,分村運動も行われたということも新しい町誌には載せることになった。
「私もむしろ旗を持って県庁まで行ったものです。」
 編さん委員の一人は思い出を語る。
 前の町誌でははっきりしなかったことや,新しい事実が次第に明らかになってくる。こういうところが歴史の面白さかもしれない。

 気高町発足50年目に当たるということで,この式は合併50年式典も兼ねていた。合併○○年式典は,確か5年ごとに行われているもので前回も出席したように思う。今回は閉町の式も兼ねるため広く一般町民にも呼びかけたようである。約400名の町民で体育館はいっぱいになった。

 前半は50周年関係の式内容で,叙位・叙勲受賞者の顕彰,町功労者表彰が長ったらしい。限られた2時間の内,1時間近くもこれに取られてしまうなんて,工夫がなさ過ぎる。というぼやきもあちこち聞かれる。
 後半は,濱田台児(気高町浜村出身)絵画コンクール表彰,来賓挨拶,アトラクションと閉町式にふさわしい内容になったが,来賓の挨拶が長いのにもいつもうんざりさせられる。自分を売り込みたいのだろうが,マイナス点にもなるのだということに気づかないのだろうか。

 最後は町旗降納で終わったが,もう一工夫ほしかった。町民が参加する場面がなかったことだ。気高町イメージソング「ときめきmy town 」を歌うだけでもよかったのに。町内に毎日流れている曲なのだから,きっとみんなが気高町の温かい思い出として歌って別れを惜しむことができただろうに。