そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.377  自然観察会・亀井公


 10月の自然観察会は鹿野で行われた。鹿野の寺での観察という連絡だったが,目的である亀井茲矩公の墓所は気高町の田仲(たちゅう)なのになあと思っていたら,やっぱり連絡の間違いで,そちらに向かうと言う。

 今年はずいぶん雨が多くて,この観察会も影響を受けることが多い。日陰の植生と日向の植生を教えて頂いた。現場を見ながらよく分かった。何種類かのきのこも観察できた。清末先生は
「これは食べられます。美味しいですよ。」
と言われるが,なかなか素直に食べる気にはならない。
 亀井公の墓所には先日も個人で行ったのだが,この雨では観察もままならない。それでも高木,亜高木,低木,下草で成っている理想的な天然林が保たれているということが一目で分かる。
 雨がひどくなった。観察は1時間ほどで中止することにして,山を降りた。道路の横にある駐車場の中で雨を避けながら,会誌の配布や次回の連絡をする。私は用意していたプリムラの苗を希望する人に上げた。
 雨のため観察会が短縮される形になったので,帰り道私の車についてこられた人に観光案内をする(気高にきていただく機会は少ないでしょうから)。亀井公の業績を見るのにちょうどよいところがある。

 逢坂小学校の北方に,大堤(おおづつみ)という周囲1000mほどのため池がある。この池に伝わる「うぐい突き」という行事がある。
 この池は,16世紀末〜17世紀初めこの地方を治めていた鹿野城主亀井武蔵守茲矩が,灌漑用の貯水池として造ったものだそうだ。
 毎年10月,この地区の人々はこの大堤の水を抜いて干し,中に入って掃除をする。そのとき「うぐい」という道具を用いて中にいる魚をとる。茲矩は,このため池を灌漑用水として用いると同時に,養魚場としても利用したらしい。鯉や鮒などをこの池に放して生かし,自然のままに大きくして漁をした。しかも,東南アジアにまで交易の手を伸ばしていた彼にふさわしく,シャム(現在のタイ)の漁法を取り入れた。この漁法は,竹で底のない樽型に編んだ「うぐい」と呼ばれる籠を作り,これで魚をとるものである。
 この漁法は現在もタイやカンボジアなどで使われているという。(逢坂小学校ホームページ平成12年10月「校長室から」より)

 そんな説明をした。亀井茲矩とこの地方との結びつきや,海外との結びつきなどがこれで分かっていただけたと思う。
 ところで,上記の「うぐい突き」は,今度の日曜日に行われる。10時ごろから水を抜いて,昼ごろには「うぐい突き」がちょうどよいころになる。見にこられませんか。実際にやって見られませんか(もちろんぬれたり汚れたりは覚悟して)。