そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.388  合併・二十分の一


 いよいよ11月1日から9市町村の合併ということになった。ここ数年間の動きがいろいろあって,合併してよいのか悪いのかいまだに分からないけれど,まあいつの合併にしてもそんなものなんだろう。

たまたま町誌の編纂にかかわっていて,前回昭和三十年の合併問題に触れることができた。その時は,県がかなり強く当時の気高郡東部八か町村(宝木・酒津・瑞穂・鹿野・勝谷・小鷲河・逢坂・浜村)の合併を指導している。それに終始反対したのは鹿野町であった(今回も鹿野町の動きが合併全体を左右していると私は思っている)。
県も指導はできても押し付けはできず,南部の鹿野・勝谷・小鷲河の3町村が「鹿野町」として,残り北部の5町村が「気高町」として合併し,今日にいたるのである。

合併してからもさらに逢坂・瑞穂の一部に分町の動きがあった。合併2年後には貸し切りバスで数百人が県庁に押しかけ,むしろばたを翻し,県知事・県会議長と談判をした。結局のところはうやむやになって、そのまま来てしまったのだから,いったいその騒ぎは何だったのか,ということになるが,合併問題というのはいつの時代でもそういうものらしい。

今回の合併はそこまでの直接行動はなかった。しかし,さまざまな駆け引きがあって,現在の姿になっている。問題はここからだ。山陰初の二十万都市になるというけれど,町では気高町が最も大きいといっても1万人,全体の二十分の一しかない。これまでの鳥取市と対等の数字でないことは確かだが,これからはどう発言し,どう行動するかだ。

先ず中身がしっかりしなければいけない。ばらばらだと力はマイナスの方向に働く。これまでもそんな場面がいっぱいあったように思う。図書館設立なんてそのいい例だ。勿論議論は尽くすが,やるとなったら一致団結すること。
自己に固執しないこと。だれだって自分がかわいい。先ず自分がよくなりたい。しかし,それを主張するばかりでは前に進まないことがある。一度引いて,他の主張に耳を傾けてみることだ。そこにはきっといいものがあるはずだ。いいところといいところを合わせれば,2倍以上のものができるかもしれない。また,場合によっては三方一両損ということもあるかもしれない。そこは見極めが大事だ。みんなが自己の主張を変えなければ,何にもできない。これまでの気高町政にもそんなことがいっぱいあったような気がする。

そして何よりも一人一人が勉強すること。問題を他人に任せてしまったらいけない。「どうにもならない」ことはない。きっと「どうにかなる」。
合併は一つの出発点。二十分の一が十分の一,いや,対等である姿勢で臨みたい。