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たまたま町誌の編纂にかかわっていて,前回昭和三十年の合併問題に触れることができた。その時は,県がかなり強く当時の気高郡東部八か町村(宝木・酒津・瑞穂・鹿野・勝谷・小鷲河・逢坂・浜村)の合併を指導している。それに終始反対したのは鹿野町であった(今回も鹿野町の動きが合併全体を左右していると私は思っている)。 合併してからもさらに逢坂・瑞穂の一部に分町の動きがあった。合併2年後には貸し切りバスで数百人が県庁に押しかけ,むしろばたを翻し,県知事・県会議長と談判をした。結局のところはうやむやになって、そのまま来てしまったのだから,いったいその騒ぎは何だったのか,ということになるが,合併問題というのはいつの時代でもそういうものらしい。 今回の合併はそこまでの直接行動はなかった。しかし,さまざまな駆け引きがあって,現在の姿になっている。問題はここからだ。山陰初の二十万都市になるというけれど,町では気高町が最も大きいといっても1万人,全体の二十分の一しかない。これまでの鳥取市と対等の数字でないことは確かだが,これからはどう発言し,どう行動するかだ。 先ず中身がしっかりしなければいけない。ばらばらだと力はマイナスの方向に働く。これまでもそんな場面がいっぱいあったように思う。図書館設立なんてそのいい例だ。勿論議論は尽くすが,やるとなったら一致団結すること。 そして何よりも一人一人が勉強すること。問題を他人に任せてしまったらいけない。「どうにもならない」ことはない。きっと「どうにかなる」。 |