そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.390  砂山物語


 鳥取市との合併で,役場も大きな異動があり,役場庁舎2階にあった教育委員会は1階に移り,2階で仕事をするのは私一人になってしまった。廊下をはさんだ向かい側の部屋にはシルバー人材センターがどこからかやってきて,事務員が一人いるが,ふだんはシンと静かな環境である。

 私の仕事部屋は物置と言ってもよいぐらいに書類が積み重ねられている。明治時代からの役場の保存書類が,段ボール箱に詰められて重ねられているのである。私は新しい町誌の中の明治・大正期を中心に担当しているので,その点ではこのかび臭い書類が役に立つこともある。また,どこから誰が持ってくるのか,それ以外の古い文書やそのコピーなどが置いてあることもある。その中にまた,貴重な資料があることもある。

『正條村誌』のコピーはそんな中にあった。「昭和十一年」という表紙の文字を確かめてめくってみると,村の来歴やら何やら書いてある。この手のものは最近目にすることが多いので,ああまたこの手かと思いながらしばらく見ていくと,砂丘開拓のことが出てきた。私が『新町誌』の中の「人物誌」で受け持っている「高田亀三郎」も出てくる。肖像画(写真)は平成11年に発行された『正條村誌』に載っているものと同じだ。というより,昭和11年に出された『正條村誌』のものを,そのまま平成11年の村誌が載せたということだ。それを描いた人の名前を見て私は驚いた。「清水志郎」私の父だった。平成11年のものにはそんなことは一言も書いてなかったのに。
 それだけでなく,父は砂丘開拓の物語も書き表していて,それもこの昭和11年のものには掲載されている。「砂山物語」。何かの雑誌の入賞作品だとも書いてある。もとの文書が傷んでいるためか,かなり読みづらいところもあるが,なんとか解読しようと思い立った。以下,その文章の最初の部分である。漢字は現在使用の字体に,仮名遣いは現代仮名遣いに改めているところがある。

    砂山物語                  清水志郎
 むかしむかし鷲峯は烈しい恋の若者だった。情熱に天は焦げ溜息に地は鳴動した。が、やがてのことに凝然と北の一点を見詰めて立ち尽くす彼となった。その視線は蒼い平たいものに結ばれていた。それは無気味に黒ずんだ有史以前の日本海である。失恋の鷲峯は見詰めながらに呟いた。「俺の恋に値する女が無いなんて。いや来る。屹度来る。あの岬の東側のあの海岸に上って来る。」
 三百年か三千年かそれとも三万年かの時が過ぎた。地上には人間の時代が来ていた。人間等は地上を掻き廻して,それに草を植えたり刈ったりして殖えていた。その時である。ぽっかりと白い美しいものが海から上ってきた。恰度鷲峯が其の時も矢張り見守って居たあの海岸である。
 (少し時間をかけて全体をまとめます。その後の扱いについては関係者と相談します。)