そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.402  餅

「正月三ガ日の朝,餅を入れた汁(または味噌汁)を家族で食べ,新年を祝う。汁には餅のほか海山さまざまのものを入れるので雑煮というが,種や作りかたは各地各様。」(「俳句歳時記」平凡社)

正月といえば餅である。我が家でも毎年餅を搗いていた。いや,臼も杵もないから機械搗きだった。もっとも,若いころは杵で搗いていたのである。正月前には何臼か搗いていて,私も2臼(1臼は2升)や3臼は搗いていたように記憶している。しかし,家庭での餅つきの風習は次第になくなってきた。食生活の変化ということもあり,家庭の生活習慣の変化ということもある。餅搗き機の開発ということもあるのかもしれない。
さらに近年は,搗いた餅を売る店も多くなって,機械で搗くことさえ少なくなった。形のよい餅が,必要なだけ簡単に手に入る。

1964年が私の就職の年であるが新任の地は山間地で,さまざまな行事がまだまだ残っていた。もちろん餅つきは当たり前に行われていた。私も何臼か搗いたことを覚えている。
その後多くの家で餅を搗くことがなくなって,学校行事の中に餅つき行事が残る時代になった。これも時代の流れだろうか。

今年は我が家の息子たちは,正月を少しずらして帰省するというから,ご馳走もあまりしないことにした。たいていお節の少しは作っていたが,それもやめて雑煮を食べるだけ。
雑煮といってもこの辺りではぜんざい雑煮である。初めての人は「えっ」といって驚くが,鳥取県も全体というわけでなく,東部地域に多いのだろうか。妻は中部の出なので,初めて正月を迎えたときにはびっくりしていた。
餅の形だって角餅の地方と丸餅の地方があるくらいだから,驚くほどのことではない。食は地方の文化といってもいい。地方によって,住む人によっていろいろなやり方があるわけだ。しかし,これだけ人の交流が盛んになり,それにつれて文化も入り混じってしまうと,食も家によってそれぞれ違うのかもしれない。

今日は3日。暮れに煮ておいた小豆がなくなったので,黄粉で食べることにした。これはこれであっさりとうまい。私はずっと若いころには7・8個は食べていたものだが,現在では2・3個でちょうどよい。
まだ餅はあるけれど,だんだん普段の食生活に返していかなければなるまい。一応仕事は明日まで休みとして,あさってからは町誌原稿とにらめっこの生活となる。