そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.412  正和会

 これについては以前にも書いた(No.146,282)。勝見の毎年の行事なので,新聞もよく取り上げてくれている。今年は役員でなく班長だったので,一般地区民の側から見ることができた。

 正和会は,今年80回を迎える。何か記念行事をしなければならないのだろう,と役員をしていたときから話していた。班の出し物もあるので,各班にとってはかなり負担になる。実際二十数年前には出し物をする班がなくなって「もうこんなのはやめようか」というところまでいったものだった。そのときがんばったのは実は私たち8班だった。進んで踊りをしたり,合奏をしたりしたものだ。それを見て,他の班も奮起しだした。

 しかし,またカラオケで済ませようという雰囲気が強くなった。班代表によるカラオケ大会になってしまったのだった。それを80回大会では代表だけでなく,多くの人が出るものにしてほしいということだった。
たまたま今年は私が班長で,しかも昨年末に班編成替えがあり,なかなか班全体の会がもてなかった。とにかく班会を我が家で開いた。そこで出てきた意見は「なんとかやりましょう」「みんながすぐにできる唱歌でも歌ったら」というものだった。私もそれを腹案として持っていたのですんなり決まった。

 正和会の出演は班だけではない。各団体も出演する。子ども会,青年会,老壮会,女性部,自警団などである。子ども会といってもずっと以前は一学年だけで20人くらいもいたのだが,最近は2・3人がやっと。年によっては一人もいないこともある。だから,昔は学年一つずつの出し物をしていたのに,近ごろは全員で一つというところ。写真は今年の子ども会の出し物「姫石温泉物語」。

 年をとった人に言わせると,昔はこの芸能大会がとても盛んで,夜の7時ごろまで続くこともあったという。また,見物も勝見の人だけでなく,近郷近在からまでつめかけてくる人もいたとか。昔の数少ない娯楽の一つだったのだろう。
各地域に似たような娯楽の場はあったようだが,ほとんど消えてしまった。生活が個別化しばらばらになって,地域の結びつきが弱体化・希薄化した。家の中でも,どこか車で出かけても,娯楽の場はたくさんある。自分がしなくても,楽に見たり聞いたりする娯楽がある。など,理由はたくさんあろう。
勝見もこれをどこまで続けられるかわからない。今のところは「何とかしなくては」という声に支えられて存続しているが。