そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.413  冠婚葬祭

「冠婚葬祭 古来の4大礼式 元服、結婚、葬儀、祖先の祭祀(広辞苑)」
「元服」という儀式はもちろん今は勝見にもない。しかし、前回書いた正和会の中に祈願祭という行事があって、二十歳の人もお祓いを受ける。現在勝見に住んでいなくても籍があれば該当する。記念の品物は家の人に渡されることになっている。みんなで勝見の成人をお祝いしようということだ。しかし、少子化のためにだんだん二十歳の人が少なくなった。今年は一人もいないというのでみなが驚いた。

「婚」については、本人同士、家同士のことで、これは他地区もあまり変わらないだろう。まあ昔と変わったことといえば、若者の年流出が多く結婚式を都市の式場やホテルなどで行うことが多くなり、花嫁姿などを見る機会がほとんどなくなってしまったということだろうか。

勝見の役員をしていた2年間に、地区内の葬儀が7・8回あった。勝見では、昔からの相互扶助のやり方が根強く残っていて、原則として部落葬を行う。葬儀委員長は区長、3個班毎に1名の葬儀委員(計3名)が決まっていて、さらに6名の役員の中2名がかかる。葬式の準備には、該当する班と、組を作っている2つの班がかかる。具体的に言うと、食事は該当の班、葬式の飾り(というのが正しいかどうかは知らない)は他の2班が作る。葬儀委員長は全体の総括、葬儀委員は葬儀全体に関わって前日・当日の準備、受付、後始末など。役員も家との連絡、準備、葬儀の進行、後始末。
 昔からこういうやり方でやってきている。葬儀社などがなかったころは、どの地区でもこうしてみなが助け合ってきたのだ。だんだん都市化が進んできて、こういうやり方が少なくなってきた。平日など手伝いの人もなかなか集まらない。葬儀社に頼めば、もちろんそれ相当の金はかかるが、すべてやってくれる。地区の人は出棺に会うだけ。
 勝見でも次第にそんな傾向が見えてきている。

「祭」は、冒頭に書いたように「祖先の祭祀」が本来の意味だから、各家庭が行うもの。しかし、意味を「祭り」まで広げて考えると、勝見の薬師祭りは、いつごろから行われているかは知らないが、昔からのやり方で続いているもので、これも勝見の伝統といえよう。しかし、ここにもいろいろと問題が出てきている。上げてみると、「お当宿(よい祭りに村に出られたご本尊をお泊めする家)」の受け手がなくなった。これも少子化の影響で鼓笛隊や踊りができなくなった。勝見以外の薬師祭り関係地区(広い範囲での勝見)の祭り離れが進んでいる。このようなことだ。

 時代とともに行事祭礼も様変わりする。それが悪いということではない。ただ、何もかもやめてしまおう、しないのが楽、というのではさびしい感じがするのである