そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.427  民俗学博物館(ベトナム・ハノイ近郊)春紀行8

 ベトナム民俗学博物館は、ホテルから車で20分ばかり走ったところにあった。ハノイの建築物はレンガ造りのものが多い。古い街並みから新しい街づくりを始めているところも多く、工事中のところもあちらこちらに見られる。

「私の家はこの近くです。」
 トンさんが言う。ハノイの中心部に近いところのようだ。大学のある通りも近い。日本語の勉強を始めてから20年近く、通訳やガイドの仕事についてから15年というトンさんは、自分の仕事に自信を持っているようだ。十数年前には日本人相手のガイドはほとんどなかったという。現在は雇われガイドではなく、独立して観光会社と契約を結んでガイドをしているらしい。
「日本の学校で日本語の勉強をしました。通訳の仕事で日本に行ったこともあります。友達もいるしいいところだけど、物価が高い。」
「日本のどこから来たのか」と尋ねるから、「鳥取」と言うがわからない。「広島や大阪から近い」と付け加えると大体わかったようだった。ベトナムの人には東京の次には広島がよく知られているようだ。もちろん原爆最初の犠牲の街としてだ。
 去年の新潟地震のこともよく知っていた。
「ベトナムには地震はない。だから東京の学校の教室で地震にあったときびっくりした。そんなに大きな地震ではなかったけれど。」

 民俗学博物館に着いた。日本語のパンフレットもあってそれには「ベトナム民族学博物館」と書いてある。どちらがほんと?と思ったが、「ベトナムには54の民族があって、その民俗を紹介している博物館です」というトンさんの説明を聞いて、そうかとうなずいてしまった。54の民族の中で一番多いのはキン族で、トンさんもその一人だという。
 ベトナムでは言語の違う民族もある。しかし、一目でわかるのは衣装の違いである。それらの衣装を初め生活道具、楽器、祭祀の道具など1万5千点を展示していた。機織の実演をしているところや祭りの様子をビデオ放映しているところもある。

 グループで見学していた女の子が、トンさんが私たちに説明している様子を見て話しかけてきた。少しの会話の後トンさんが、
「この人たちは学生です。新聞関係のことを勉強しているそうです。」
「ここには何をしに来ているのですか。」
「勉強のためだそうです。」
 なかなか熱心な学生たちだ。しかも、見知らぬ観光客にも積極的に話しかける。実はこの後にもそんな光景にしばしば出くわしたのだった。日本の学生はどうかな。