「庭で蛙の声が聞こえる。」と,まだ私の入院中に妻が言う。
「そんなことなかろう,どこか遠くで鳴いているのだろう。」と,私はこたえた。実際,家の近くには田んぼはないし,蛙の声など聞いたことはなかった。
「でも,確かに聞こえるんだけど。」
退院して,天気はどんよりと曇っていた。
「クル,ル,ル,ル,ルル」おかしな音がする。工事の音にしては連続しないしけたたましくもないし。かと言って蛙の鳴き声にしても妙だし。しばらく途切れてまた聞こえる。あれは確かに蛙だ,と断定するまでにはしばらく時間がかかった。
例えば草野心平の「春の歌」の蛙はこう歌う。
みずはつるつる。/風はそよそよ。/ケルルン クック。
それに比べると今聞こえる蛙の声の下手なこと。やっと歌い始めた子蛙だろうか。それとも,一人ぼっちで鳴き方の師匠にも恵まれない孤独蛙だろうか。
ところが,翌日から晴天続き。雨に敏感だと言われる蛙の声は聞かれなくなってしまった。私は,怪我が完治していないので,一人でまわりをごそごそ探すことができない。それじゃあ,と妻の車で田んぼの観察に出かける。もちろん蛙を見つけることはできないだろうが,何か自然の動きでも見られるかもしれない。
天気続きなので山は霞んでいるが,田植えの終わった田んぼがずうっと鷲峰山まで続いて,いつものこのあたりらしい風景である。
田んぼの中をのぞいて見たら,無数のおたまじゃくしが泳いでいた。これらも後しばらくしたら蛙になってはい上がり,自己主張の鳴き声を上げることになろう。
草野心平の「誕生祭」に蛙たちの声を見る。
泥鰻(どじょう)はきらっとはねあがり。/無数無数の蛍はながれもつれあう。
りーりー りりる りりる りっふっふっふ
そして,最後の大合唱へと導かれる。
ぎゃわろっぎゃわろっぎゃわろろろろりっ/ぎゃろっぎゃわろっぎゃわろろろろりっ
我が家の近くにいる蛙が,今度どんな声を聴かせてくれるか。ひそかに雨を待つ。
(2002.6.3)
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