そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.434  市内観光 ベトナム(ハノイ近郊)春紀行15

 ベトナム最後の日の午後はハノイ市内観光だった。
 まず、玉山祠に向かう。ここは先日の自由行動のときに来たホアンキエム湖上にある。あれは何かなあ、と言いながら通ったところだ。13世紀に元の侵攻を撃退したチャン・フン・ダオ将軍が祀られている。ヨーロッパ、アジアを征した元の軍隊を、弱いベトナムの軍隊が打ち破ったのである。
「日本も元に勝った」と私が言うと、「そう、日本も勝った」とトンさんはうなずいた。

 ホー・チ・ミン廟は、ホアンキエム湖から2キロばかりのところにあった。ベトナム建国の父をトンさんは「ホーおじさん」と呼ぶ。1954年から1969年まで、晩年をホー・チ・ミンはここで過ごした。ベトナム戦争は1975年サイゴン(現在のホーチミン市)陥落により終結することになる。ホー・チ・ミンは最終的な勝利を見ることなく亡くなったが、私の記憶にも「ホーチミン軍」として南ベトナム、アメリカからも恐れられた彼の名が、今もしっかりと残っている。
 廟の中には入らなかったが、ちょうど衛兵の交代の時間で、何枚か写真に収めることができた。

 一柱寺は、一本の石柱によって支えられて池の上に建っているところからこの名がついたという。悲母観音の夢を見たことで子宝に恵まれたリータイトン王が感謝の気持ちをこめて1049年に建立したと伝えられる、ベトナムを代表する古刹である。
 下でお参りをして次に行こうかと思っていたら、トンさんが、
「上がってお参りをしてきたらどうですか。」
とすすめる。何ごとも経験か。お供え(果物と線香)をもらって(もちろん祈祷料を払って)上に上がる(写真)と、女の人がお経を上げていた。何でもいいや、とにかく手を合わせて拝礼して下りる。

 午後の観光最後は文廟である。孔子を祀る目的で1070年に創建された廟。境内にはベトナム最古の大学が開設され、官吏の養成所となった。3年に1度行われた科挙合格者の名前が刻まれた石碑がずらりと並んでいる。つまり、今年不合格だと次のチャンスは3年後という厳しいものだったのだ。私たちに説明しているトンさんにずっとついて回っていた女の子が話しかけてきた。
「この廟のことについて教えてほしい、ということなので、ちょっと時間をください。」
 なんでもトンさんが勉強した大学の学生なのだそうだ。このあとの見学カ所を私たちに指示すると説明を始めた。私たちは指示に従って歩き、みやげ物店で少し買い物をして出る。        (次回はこの紀行文の最終回になります)