そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.440  梨の花

 日本なし
「鳥取県を代表する二十世紀梨、これも大きく収穫が減少している。これは樹園地が減少しているためである。
経営耕地面積を平成7年と12年の比較(田畑別・気高町)でみると、田24ヘクタール(4%)、畑11ヘクタール(10%)、樹園地14ヘクタール(48%)、いずれも減少している。樹園地は5年間で半分近くになったことがわかる。樹園地から普通畑へ転換しているところも若干はあるが廃園のままということのほうが多い。
また、老木になった二十世紀梨からゴールド二十世紀梨などへの改植、家の働き手の農業離れや高齢化、傾斜地での労働の厳しさなどから、梨作りを継続することが難しい農家も多いものと思われる。」
『新気高町誌(仮題)』に私が農業について書いている(なんで私が農業について書かなきゃならないのかは分からない)ものからの引用である(表を省略している)。まだ確定の原稿ではないが、多少の書き替え換えがあるにしてもこの内容には変わりがないと思う。

 今、梨の交配の時期で、ワラビ採りに行くと、梨園に働く多くの人を見る。盛んな二十世紀梨作りは過去のものになったけれど、まだまだ梨農家の生産活動は続いているし、鳥取県の二十世紀梨はしばらくは健在であろう。しかし、上記の状況については変わることはないと思っている。

 ワラビを探していると、枝を剪定している梨園があって、切った枝がいっぱい道端に捨ててある。
「これ生花に使えるんじゃない。」
と私が言うと、妻も、
「これは使える。」
と、枝を選び出した。
 今どき二十世紀の花なんて知らない人もあるだろうから、図書館に持って行ったらいいんじゃないかなあ、と私は提案する。
「それがいい。」
「『二十世紀』と札を書いておいたほうがいいぞ。」
「そこまでしなくても分かるんじゃない。」
「いや、二十世紀なんて知らない人も多いかもしれない。」
 でも、この提案は却下。

 今日図書館をのぞいてみる。梨の花は結構生き強くて、水をしっかり上げている。