そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.444  ヤマブキ

  七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき
 江戸城を築城した太田道灌が、武蔵野で雨にあい、蓑を借りようと付近の農家に立ち寄ったところ、そこの娘が黙ってヤマブキの花の一枝を差し出した。「折角ですが、貧しくて蓑一つありません」……道灌は娘の気持ちを読み取った。ヤマブキにはたくさんの花が咲くが実がまったくつかない。「蓑(実の)一つだになきぞ悲しき」と娘は歌にその気持ちをかけたというのである。
この娘の機知に感心した道灌は、その後もますます学問に励んだという。

 なかなかよくできた話で、私なんか歌の一つも詠めないから、どうしてこんなにも気の利いた歌が瞬時に詠めるのかと不思議に思ってしまう。ひょっとしたら太田道灌の自作自演ではないかとか、あるいは別人の作り話だろうとかついつい疑ってしまうのだ。
もし、この娘が本当にこの歌の作者だとすると、娘は道灌が通りかかることを知っていたのではないか。そして、この歌を事前に準備していたのではなかろうか。庶民の暮らしの実情を知ってもらうために。ヤマブキの花言葉は「待ちかねる」。いや、それはちょっと偶然が重なりすぎる。やはり作り話なのだろう。

 この花には次のような伝説があるという。
むかし、相思相愛のカップルがいた。しかし、浮世のしがらみから一時離れて暮らさなければならなくなった。別れ際に一つの鏡に二人の顔を映し、その鏡を土に埋めて左右に分かれた。やがて、そこから一本の木が育ち、黄金色の花を咲かせた。それがヤマブキだった。

 ヤマブキ Kerria japonica
 属名のケルリアは人名にちなんだもの、種名は「日本原産の」という意味だという。英名でも「ジャパニーズ・ローズ」だとか。
我が家のヤマブキ(写真)は、「七重八重」と歌に出てくる八重咲きのものである。実は、一重のヤマブキには実がつく。八重咲きのものには実がつかない。従って歌のヤマブキは八重咲きのものだったのである。

 さあ5月、花壇も畑も忙しいぞ。
         〜〜この項の参考資料『花を贈る事典366日』(西良祐)