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町誌の編纂に携わりながら、わずかな発見でもあるとうれしいものだ。私が特に調べているのは明治から大正期にかけてで、資料といっても目新しいものは少なく、「発見」などということはめったにない。それでもたまにそんな機会に出会うことがある。 明治9年(1876)8月から同14年(1881)9月まで鳥取県が島根県に併合された時期がある。鳥取県の郡制度はこの併合時代に開始されたことになる。明治12年(1879)1月、出雲・石見・因幡・伯耆・隠岐の5国からなる島根県に、郡区・郡役所が定められ、22名の郡長が任命された。その内、鳥取県域には次の9郡治分画がなされ、郡役所が置かれた。 これで見ると、気多郡と高草郡それぞれに郡役所がおかれ、郡長が任命されたはずである。ところが、高草の郡長梶川正温ははっきりしているのに、気多の郡長は分からなかった。というより、梶川正温が兼務していたのではないか、ということになっていたのである。 明治13年(1880)11月20日、郡の統廃合により気多・高草が合併するまでの1年10カ月余りという短い期間ではあったが、気多郡(平成16年11月合併までの気高郡域)に郡長が任命され、勝見に役所が置かれた。その初代郡長には梶川弥平が任命された。 これは決して私の発見だったわけではない。しかし、気高町・気高郡の歴史を考える上で、決して見逃してはならないことなのではないか。気高郡はその当時から郡としてのまとまりを持って近代の歩みを進めていたのだ。 |