そらのやま「通信」     Yukito Shimizu


No.463  町誌編纂の中の発見2・連合戸長

 少し面倒な地方史の話になる。私自身知識は全くなく、読者に対しても申し訳ない面もあるが、ちょっとだけ仕事でかかわった立場上、お知らせしておくのもいいのかと、ページを設ける。

連合戸長役場
 明治16年3月新法制定以来の小規模な戸長役場の区域を拡大し、4月1日より連合戸長制を実施することになった。この措置は、17年5月7日の訓令によって実施されたのであるが、本県ではすでに、財政上の問題から連合して戸長役場を設けているところもあった。県では3新法の弊害と実情を認め、1年早く実施に踏み切ったのである。
 16年3月、鳥取県甲第16号を持って行政区画の変更が布達された。この訓令によると、連合戸長役場の所轄区域はおよそ500戸・5か村が標準とされ、気多郡は7連合でそれぞれの連合戸長が公選された。気高町域の連合戸長役場管理区域村名はそれぞれ次のとおりである。
第1連合 宿村・土居村・重高村・2本木村・下坂本村・奥沢見村・宝木宿・富吉村・常松村・上光村・下光元村・酒津村
第3連合 日光村・浜村・勝見村・8幡村・乙亥正村・岡木村・中園村・宮方村・寺内村・今市村 
第4連合 8束水村・下原村・会下村・高江村・郡家村・睦逢村・山宮村・上原村・飯里村・下石村・殿村・小別所村・鷲峰村・河内村

「なんと、こんな資料を持っている方がありますよ。」
 そう知らせてくれた方がある。明治初期の学校教育に関わっていた人の履歴書、任命書な
どがあるというのだ。早速訪ねてみる。
 訪ねて得た資料は、それに間違いなく気多郡のその部分の歴史を埋めることができるもの
であった。

第4連合戸長 山根壽
 山根は姉泊の人である。資料を見ると、明治8年ごろから姫路学校、勝見学校に勤務し
ており、気多郡第5学区の学務委員もしている。明治14年の島根県時代には、八束水(や
つかみ)村の戸長も務めている。教員といえば、読み書きはもちろん、一般的な知識もあり、
政治の上でも十分やっていけるものと認識されていたのであろう。鳥取県から島根県へ、そ
してまた鳥取県へ、複雑な山陰の地方政治の最中、全国に先がけてスタートした連合戸長制、
さまざまな困難もあったと思われる。そのあたりの具体的なものが出てくれば最高なのだが。
公文書館のIさんに資料の裏づけを頼む。さらに2・3の資料について「新たな発見」と思われるものがあるが、もう少し調査を進めたい。